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ステフィン・カリー――ウォリアーズの“象徴”となった男が、プロ入り時にニックス行きを望んだ理由【NBA秘話・前編】<DUNKSHOOT>

大井成義

2022.09.28

09年ドラフトでウォリアーズに指名された直後の様子。意に反した結果だったせいか、笑顔もどこかぎこちない。 (C) Getty Images

 昨季までの現役13年の間に、レギュラーシーズンMVP2回、ファイナルMVP1回、得点王2回、優勝4回と数々の金字塔を打ち立ててきたステフィン・カリー。今や"ウォリアーズの象徴"と言っても過言ではない存在だが、大学時代の彼には意中のチームが別にあった。

 その球団はニックス。ドラフト当時、両者は蜜月関係にあり、カリー本人はニックス入団を確信していた。しかし、寸でのところで計画は頓挫する。なぜ、カリーの願望は叶わなかったのか。今回はその秘話を紹介する。

■超大物のジャバー獲得を見送り、30余年後にはカリーを逃した古豪

 入団2年目の1971年にバックスを初優勝に導き、デビューからの6年間にレギュラーシーズンMVP3回、得点王2回に輝いた若きスーパースター、カリーム・アブドゥル・ジャバーのトレードが発表されたのは、1975年6月のことだった。

 移籍先は名門レイカーズ。現役№1選手の移籍騒動は、リーグに巨大なインパクトをもたらしたが、それと同時に移籍会見でジャバーが発した赤裸々なコメントにも注目が集まった。断っておくが、これはレイカーズ移籍会見での発言である。
 
「俺はニューヨークに行って、ニックスでプレーしたかった。最初にバスケットボールを始めた時から、ニッカーボッカーズでプレーすることが俺の夢だった。故郷のニューヨークに戻りたいという気持ちは強かったものの、レイカーズが俺の獲得に向け真摯に努力してくれた。だがニューヨークはそうじゃなかった。自分を必要としていない人たちと一緒に過ごすことは、賢明ではないと思う。だから俺は今、ここにいる」

 その前年の1974年、ジャバーはバックスのフロントにトレードを要求し、希望移籍先に地元ニューヨークのニックスと、母校UCLAで4年間過ごしたロサンゼルスのレイカーズを挙げた。両チームにとっては千載一遇の大チャンスである。無限の可能性を持つビッグマンを獲得すべく、双方のフロント陣は目の色を変えて取り組んだ。

 最終的に白羽の矢が立ったのは、レイカーズだった。球団オーナーのジャック・ケント・クックが「不可能な夢」と、半ば諦めていたにもかかわらず。より魅力的な交換要員を提示できたことが最大の勝因だったが、情報筋によると、ニックスは現金400万ドルを支払いさえすれば、選手を絡めずともジャバーを獲得できたのだという。

 だが、彼らはその方法をあえて選択しなかった。2度とない機会を、ニックス首脳陣はみすみす逃したのである。
 
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「俺はニューヨークに行きたかったし、行くものと思っていた」とカリー