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本人の願いも虚しくカリーを強行指名したウォリアーズと“本気度”の差で“大魚”を逃したニックス【NBA秘話・後編】<DUNKSHOOT>

大井成義

2022.09.29

ドラフトは父デルの意に反する結果となったが、これが吉と出る。ウォリアーズ入団後、ステフィンは今季までに優勝4回、MVP2回を手にし、スターに成長した。 (C) Getty Images

ドラフトは父デルの意に反する結果となったが、これが吉と出る。ウォリアーズ入団後、ステフィンは今季までに優勝4回、MVP2回を手にし、スターに成長した。 (C) Getty Images

■カリー本人の願いも虚しく、ウォリアーズが指名を強行

 2009年のNBAドラフトはニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるザ・シアターで開催された。選手たちは本番2日前にニューヨーク入りし、日中はメディアへの対応や各種イベントに時間を費やした。ドラフトには16人の選手が招待され、2日間ほとんど一緒に過ごしたそうだ。

 現在ホークスの球団社長兼GMを務めるトラビス・シュレンクは、当時ウォリアーズのアシスタントGMの職にあった。その彼が、2018年6月に放送された『KNBR680』局のラジオ番組で、ドラフト当日の裏話を暴露している。

「カリーの代理人は、カリーがウォリアーズのひとつ後、8位のニックスに入ることを強く望んでいた。(指名の)準備をしていた時、カリーのエージェンシーの誰かが、『お願いだからステフを取らないで』というテキスト(携帯のショートメッセージ)を送ってきたんだ。私は発信者に、『すまないが、彼は私たちが獲得しようとしている選手だ』って返信したよ」。

 さらに、当時のウォリアーズGM、ラリー・ライリーは2014年12月に掲載された『ニューヨーク・タイムズ』の記事で、ドラフト直前に持ち上がったサンズとのトレード交渉について語っている。トレードの目玉選手は、契約最終年を迎えようとしていたサンズのオールスター・フォワード、アマレ・スタッダマイアー。交渉相手は当時のサンズGM、スティーブ・カーだった。
 
 カリーに惚れ込んでいたカーは、35歳と現役終盤を迎えていたスティーブ・ナッシュの後釜にカリーを迎え入れたいと考え、7位指名権の入手を画策する。スタッダマイアーと、ウォリアーズのドラフト7位指名権+3選手をトレードするという案で最終調整に入るも、あまりにギリギリの交渉だったため、手続きが完全に終了しないままドラフト当日を迎えた。サンズ側はトレードが成立したものと受け止めていたが、ドラフト本番で指名権の変更がなされなかったことは周知の通り。

 サンズは最後まで諦めなかった。ドラフトの翌日、カリー親子と代理人のジェフ・オースティンがウォリアーズとの共同記者会見に出席するためオークランドに向かっていたところ、サンフランシスコ空港でサンズから電話が入り、「トレードは成立しているのに、ウォリアーズがそれを承認しようとしない。だから記者会見には出ないでほしい」と告げられたそうだ。

 サンズでカリーを獲得する夢は叶わなかったカーだったが、翌10年にサンズのGM職を退いた後、HC未経験ながら2014年からウォリアーズの指揮官に大抜擢され、カリーとともに黄金期を築くことになる。

 一方のスタッダマイアーは、翌10年にニックスと5年1億ドルという超大型契約を結ぶも、ヒザの古傷や不注意による手のケガなどに加え、プレーの衰えも著しく、見る見る間に不良債権と化していった。それぞれ単なる巡り合わせの妙に過ぎないのだろうが、世の中皮肉なものである。
 
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