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「ただバスケットボールが好きだからプレーする」個人の成功よりチームの勝利を追求し続けた選手の鑑ストックトン【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.02.23

相棒マローン(左)との息はピッタリで、2人のピック&ロールは分かっていても止められなかった。(C)Getty Images

燥然と輝く個人記録の一方で惜しくも優勝には手が届かず

 NBA4年目の1987-88シーズン、ストックトンは先発に昇格すると平均13.8アシストで初のタイトルを獲得した。攻撃面でも、ガードとしては極めて高いフィールドゴール成功率57.4%でリーグ4位に食い込んだ。

 以後、9年連続でアシスト王のタイトルを独占。89-90シーズンの平均14.5本、90-91シーズンの総数1164本はいずれも史上最多記録で、年間平均アシスト記録の上位6位までのうち、1、2、4、5、6位はストックトンが占めている。「史上最高のポイントガード、究極のチームプレーヤー」(名ヘッドコーチのジャック・ラムジー) との評価も当然だった。

 これだけ多くのアシストを積み重ねることができたのは、盟友マローンの存在を抜きにしては語れない。ストックトンの1年後にジャズに入団したマローンは、"メールマン (郵便配達人)"のニックネームが示すごとく、ストックトンのパスを着実にゴールへ届けた。

 2人の息がぴったり合ったピック&ロールは芸術の域に達し、「わかっていてもディフェンスできない」と対戦相手を嘆かせた。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪にも揃って出場。93年に地元ソルトレイクシティで開催されたオールスターでは、ストックトンが9得点、15アシスト、マローンが28得点、10リバウンドで両者ともMVPに選出された。
 
 95年にはマジック・ジョンソンの通算アシスト記録を破り、「ストックトンに次いで2位であれば、それは大変な名誉だ」とマジックをして言わしめた。翌年にはスティールの通算記録も更新。小柄なポイントガードが成し遂げられる個人記録はほとんど達成してしまった。

 唯一残された目標である優勝に最も近づいたのは96-97シーズンだった。ヒューストン・ロケッツと対戦したカンファレンス決勝では、ストックトンは平均20.5点と得点面でも活躍。3勝2敗で迎えた第6戦、一時は大量リードを許しながらもジャズは猛然と追い上げ同点とする。

 そして試合時間残り2.8秒、ストックトンの放った3ポイントシュートがブザービーターとなって、4度目の挑戦でついにファイナル進出を果した。普段の無表情さからは想像もつかないほど、ストックトンは何度も飛び跳ねて全身で喜びを現わした。

 ブルズとのファイナルでも、ストックトンは持てる力を存分に発揮した。特に第4戦では終盤の劣勢の場面から攻守にわたって次々に鮮やかなプレーを繰り出し、最後はマローンへの超ロングパスを決めて勝利に導いた。

 しかし最終的にはジョーダンの超人的なパフォーマンスに屈し、翌98年のブルズとのリターンマッチでも勝つことはできなかった。
 
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練習では決めていたダンクも試合では披露しなかった