5月22日、キャリア19シーズンでNBA歴代9位の通算2万8289得点を記録したレジェンド、カーメロ・アンソニーが現役引退を表明した。
カーメロはこの日SNSへ投稿したビデオの中で「別れを告げる時が来た。(バスケットボールという)ゲームが俺に目標とプライドを与えてくれた。NBAに別れを告げるのは嬉しくもあるし、悲しくもある」と語り、ユニフォームを脱ぐ決意を明かした。
1984年5月29日にニューヨーク州ブルックリンで生まれたカーメロは、シラキュース大1年時の2002-03シーズンにNCAAトーナメント優勝を果たし、ファイナル4の最優秀選手賞(Most Outstanding Player)を受賞。同年のドラフト全体3位でデンバー・ナゲッツから指名されてNBAデビューを飾った。
ルーキーシーズン(2003-04)からチームのトップスコアラーを担い、平均21.0点、6.1リバウンド、2.8アシストの成績でオールルーキー1stチームに選出。ドラフト同期にはレブロン・ジェームズ(全体1位指名/現ロサンゼルス・レイカーズ)やクリス・ボッシュ(4位指名)、ドゥエイン・ウェイド(5位指名)といった有望株が揃うなか、期待に応える活躍を見せた。
その後も、当たり負けしない頑強な肉体と、ジャブステップをはじめとする鮮やかなフットワークを生かした多彩なスキルで得点を量産。デビューから14シーズン連続で平均20点以上をあげ、ナゲッツ、ニューヨーク・ニックス、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、レイカーズの計6球団で活躍した。
ナゲッツ時代の06-07シーズンにキャリアハイの平均28.9点、ニックス在籍時の12-13シーズンには平均28.7点で得点王に輝いたほか、数々のクラッチショットでチームを勝利へ導いたように勝負強さにも定評があった。
優勝には手が届かなかったが、オールスターに10回、オールNBAチームに6回(2ndチーム2回、3rdチーム4回)選ばれ、21年には75周年記念チームにも選出。
さらに、アメリカ代表でも長年にわたって活躍。日本で行なわれた06年の「FIBAバスケットボール世界選手権」(現ワールドカップ)で銅メダル獲得に貢献しオールトーナメントチーム選出、オリンピックには04年のアテネ、08年の北京、12年のロンドン、16年のリオデジャネイロと計4大会に出場し、3つの金メダル(04年は銅メダル)を獲得している。
カーメロはこの日SNSへ投稿したビデオの中で「別れを告げる時が来た。(バスケットボールという)ゲームが俺に目標とプライドを与えてくれた。NBAに別れを告げるのは嬉しくもあるし、悲しくもある」と語り、ユニフォームを脱ぐ決意を明かした。
1984年5月29日にニューヨーク州ブルックリンで生まれたカーメロは、シラキュース大1年時の2002-03シーズンにNCAAトーナメント優勝を果たし、ファイナル4の最優秀選手賞(Most Outstanding Player)を受賞。同年のドラフト全体3位でデンバー・ナゲッツから指名されてNBAデビューを飾った。
ルーキーシーズン(2003-04)からチームのトップスコアラーを担い、平均21.0点、6.1リバウンド、2.8アシストの成績でオールルーキー1stチームに選出。ドラフト同期にはレブロン・ジェームズ(全体1位指名/現ロサンゼルス・レイカーズ)やクリス・ボッシュ(4位指名)、ドゥエイン・ウェイド(5位指名)といった有望株が揃うなか、期待に応える活躍を見せた。
その後も、当たり負けしない頑強な肉体と、ジャブステップをはじめとする鮮やかなフットワークを生かした多彩なスキルで得点を量産。デビューから14シーズン連続で平均20点以上をあげ、ナゲッツ、ニューヨーク・ニックス、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、レイカーズの計6球団で活躍した。
ナゲッツ時代の06-07シーズンにキャリアハイの平均28.9点、ニックス在籍時の12-13シーズンには平均28.7点で得点王に輝いたほか、数々のクラッチショットでチームを勝利へ導いたように勝負強さにも定評があった。
優勝には手が届かなかったが、オールスターに10回、オールNBAチームに6回(2ndチーム2回、3rdチーム4回)選ばれ、21年には75周年記念チームにも選出。
さらに、アメリカ代表でも長年にわたって活躍。日本で行なわれた06年の「FIBAバスケットボール世界選手権」(現ワールドカップ)で銅メダル獲得に貢献しオールトーナメントチーム選出、オリンピックには04年のアテネ、08年の北京、12年のロンドン、16年のリオデジャネイロと計4大会に出場し、3つの金メダル(04年は銅メダル)を獲得している。