1990年代中盤から2010年代序盤まで、NBAで計16シーズンをプレーしてきたラシード・ウォーレス(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)は、211cm・104kgのサイズに長い腕、高い身体能力、さらにはシュート力も兼備した選手として活躍してきた。
一時はリーグを代表するパワーフォワードとしてオールスターに4度選ばれた実力者は、打点の高いジャンパーや巧みなポストプレー、長い腕を豪快に振り下ろして叩き込むトマホークダンクなどで点を積み重ね、ブレイザーズ時代の2001-02シーズンにキャリアハイの平均19.3点、2001年2月20日のデンバー・ナゲッツ戦ではキャリアハイの42得点をマーク。ディフェンスでも自身のサイズを駆使して複数のポジションを守りつつ、ハイライトシーンを彩るような豪快なブロックショットでも会場を沸かせた。
その一方で、2000-01シーズンにはテクニカルファウルをNBA史上最多の41回も吹かれるなど“問題児”としても有名。レフェリーの不可解なコールで相手にフリースローを与えられ、選手がショットを落とした際には“Ball don't lie”と叫んでミスコールを主張、試合後の会見の受け答えでは「両チームともハードにプレーした」の一点張りでも注目を集めた。
現役引退から10年以上が経過した現在、ウォーレスはポッドキャスト番組を通じて自身の考えを展開している。現地時間1月21日(日本時間22日、日付は以下同)に公開された『Sheed & Tyler』では、2005年のNBAファイナル第7戦のレフェリーについて痛烈に批判していた。
ウォーレスは2004年2月のトレードでデトロイト・ピストンズへ加入。ベン・ウォーレス、チャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトンらと強力なコアを形成し、2004年に自身初のリーグ制覇を達成した。
ピストンズは翌2005年もプレーオフを勝ち上がり、2連覇をかけてサンアントニオ・スパーズとのファイナルへ臨む。シリーズは2勝2敗で迎えた第5戦をスパーズが制して王手をかけると、ピストンズが翌第6戦を制して逆王手。球団史上2度目の連覇を目指し、運命の第7戦を敵地SBCセンターで迎えたものの、74-81で敗北し、夢が破れた。
一時はリーグを代表するパワーフォワードとしてオールスターに4度選ばれた実力者は、打点の高いジャンパーや巧みなポストプレー、長い腕を豪快に振り下ろして叩き込むトマホークダンクなどで点を積み重ね、ブレイザーズ時代の2001-02シーズンにキャリアハイの平均19.3点、2001年2月20日のデンバー・ナゲッツ戦ではキャリアハイの42得点をマーク。ディフェンスでも自身のサイズを駆使して複数のポジションを守りつつ、ハイライトシーンを彩るような豪快なブロックショットでも会場を沸かせた。
その一方で、2000-01シーズンにはテクニカルファウルをNBA史上最多の41回も吹かれるなど“問題児”としても有名。レフェリーの不可解なコールで相手にフリースローを与えられ、選手がショットを落とした際には“Ball don't lie”と叫んでミスコールを主張、試合後の会見の受け答えでは「両チームともハードにプレーした」の一点張りでも注目を集めた。
現役引退から10年以上が経過した現在、ウォーレスはポッドキャスト番組を通じて自身の考えを展開している。現地時間1月21日(日本時間22日、日付は以下同)に公開された『Sheed & Tyler』では、2005年のNBAファイナル第7戦のレフェリーについて痛烈に批判していた。
ウォーレスは2004年2月のトレードでデトロイト・ピストンズへ加入。ベン・ウォーレス、チャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトンらと強力なコアを形成し、2004年に自身初のリーグ制覇を達成した。
ピストンズは翌2005年もプレーオフを勝ち上がり、2連覇をかけてサンアントニオ・スパーズとのファイナルへ臨む。シリーズは2勝2敗で迎えた第5戦をスパーズが制して王手をかけると、ピストンズが翌第6戦を制して逆王手。球団史上2度目の連覇を目指し、運命の第7戦を敵地SBCセンターで迎えたものの、74-81で敗北し、夢が破れた。