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低迷するNBAの救世主となった2大スター、バードとマジック。そしてジョーダンの登場により、世界的な人気スポーツへ【NBA70年史|1981~90年】

出野哲也

2019.12.29

大学時代からのライバル、マジック(右)とバード(左)がNBAでも熾烈なバトルを繰り広げ、低迷していたリーグの人気を救い上げた。(C)Getty Images

 2010年代に終わりを告げ、これからNBAは新たなディケイド(10年)に突入する。その前に、73年の長い歴史を誇るリーグの歩みを、今一度時代ごとに振り返っておくべきではないだろうか。

 1980年代、人気低迷に苦しむNBAに救世主が現われた。ラリー・バードとマジック・ジョンソン――。この2人の出現によってセルティックスとレイカーズのライバル関係が再燃し、リーグの人気が一気に加速した。

■2大スターの入団によってNBA人気は飛躍的に上昇

 低迷するNBAの救世主となったのは、1979年のNCAAトーナメント決勝戦で争った2人だった。優勝したミシガン州大のマジック・ジョンソンがロサンゼルス・レイカーズ、準優勝したインディアナ州大のラリー・バードがボストン・セルティックスと、NBAでも1、2を争う人気を誇る東西の伝統チームに入団。この奇跡的な巡り合わせによって、リーグの人気は上昇気流へ乗ったのだ。
 
 78-79シーズンに29勝しかあげられなかった名門セルティックスは、バードの加入によって翌年は61勝と見事な復活を遂げる。身体能力に恵まれておらず、典型的な"跳べない白人"だったバードだが、そのバスケットボールIQはおそらく史上最高。正確無比なシュート力と、どんな状況でもフリーの選手を見つけ出すパスセンスを兼ね備え、何よりもここ1番での集中力と勝負強さが光っていた。デトロイト・ピストンズと対戦した87年のカンファレンス決勝第5戦で決めたスティールは、65年のジョン・ハブリチェック(元セルティックス)のスティールと並び称される名シーンで、80年に新人王、84年からは3年連続でMVPに輝いた。

 マジックはそのニックネームの由来である、魔術師を思わせるようなドリブルとパスの持ち主だったが、それらをパワーフォワード並みの体格でこなす点が何よりも異色だった。フィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦した80年のファイナル最終戦、レイカーズは大エースのカリーム・アブドゥル・ジャバーをケガで欠いていたが、マジックが代理センターとして起用され42 得点、15リバウンド、7アシスト。この新人離れしたパフォーマンスで優勝を手繰り寄せ、一躍スターダムに上り詰めた。
 
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鎬を削ったマジックとバード、そして”神様”ジョーダン登場