NBA

NBA史に残る天才スコアラーを輩出したアリゾナ州大――ハーデンの存在が学校の未来を変えるか【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.01.22

NBAで驚異的な活躍を披露するハーデンに負けじと、アリゾナ州大も近年は奮闘を見せている。(C)Getty Images

 アリゾナ州大(ASU)は、アメリカのスポーツファンにとって大学野球の強豪校として知られている。レジー・ジャクソンやボブ・ホーナー、バリー・ボンズらのスーパースターを送り出し、全米の頂点に立つこと5回。そのほか、フットボールでもランドール・マクダニエルをはじめ殿堂入りが5人、ゴルフではマスターズを3度制したフィル・ミケルソンも在学していた。女子ゴルフも団体で8度優勝を果たし、アーチェリーやバドミントンといった分野でも優秀な成績を収めている。
 
 一方、バスケットボールではNCAAトーナメント(以下トーナメント)への出場自体が16回と少なく、ファイナル4にも未到達。そもそもカンファレンストーナメントの制覇すら一度もないのだ。1997年に優勝し、トーナメント出場も35回を数える同じ州のライバル校、アリゾナ大と比べて大きく見劣りしていると言わざるを得ない。直接対決の通算成績も84勝152敗と劣勢を強いられており、NBA選手の数もASUが29人、アリゾナ大が57人とダブルスコアをつけられている。
 
 けれども選手の質という点では、ASU出身者はアリゾナ大にも決して引けを取らない。仮に時空を超えて、OBを集めたオールスターチームを組んでアリゾナ大と戦ったなら、おそらくASUが勝利を収めるだろう。
 
 サンデビルズの愛称を持つバスケットボール部の創部は1911年。48~57年は、野球部監督との兼任で日系のビル・カジカワがHCを務めていた。ASUのスポーツ殿堂にも祀られているほどの偉大な指導者だったが、初のトーナメント進出はカジカワ退任直後の58年、新指揮官のネッド・ウォークの下で成し遂げられている。
 
 61年から4年連続で出場し、61年と63年は準々決勝まで進出。63年の主力だったジョー・コールドウェルは、64年に東京五輪のアメリカ代表として金メダル獲得に貢献すると、その年のドラフトでは、今なおASU出身者の最上位となる2位指名でデトロイト・ピストンズ入り。並外れたジャンプ力を武器に、アトランタ・ホークス時代の69、70年には2年連続でオールスターに選出され、その後ABAに移ってさらに2度の球宴に出場した。
 
NEXT
PAGE
コールドウェルは「最も守りづらかった選手の1人」