NBAレジェンドのカーメロ・アンソニーは現役時代、長きにわたってチームの絶対的エースを務めたが、晩年は新たな役割を受け入れて息の長いキャリアを送った。カーメロが、自身も向き合った第3オプションの役割と難しさについて語っている。
レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)と同じ2003年ドラフトの全体3位指名でNBA入りしたカーメロは、デンバー・ナゲッツ(03~11年)、ニューヨーク・ニックス(11~17年)、オクラホマシティ・サンダー(17~18年)、ヒューストン・ロケッツ(18~19年)、ポートランド・トレイルブレイザーズ(19~21年)、レイカーズ(21~22年)でプレー。
19年間のキャリアで1260試合に出場して歴代10位の通算2万8289得点、オールNBA2ndチーム選出2回、同3rdチーム選出4回、オールスター出場10回、NBA75周年記念チーム選出と輝かしい実績を誇る。
23年5月に現役を引退。昨年12月に発表された25年の殿堂入り候補者にノミネートされたことからも、カーメロの実力と偉大さに疑いの余地はない。ただ、ナゲッツとニックスでは絶対的エースとして君臨した一方で、17年のサンダー移籍以降は明らかに序列が落ちた。
2017-18シーズンのサンダーではラッセル・ウエストブルック(現デンバー・ナゲッツ)、ポール・ジョージ(現フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)に続く3番手。翌18-19シーズンのロケッツでもジェームズ・ハーデン(現ロサンゼルス・クリッパーズ)、クリス・ポール(現サンアントニオ・スパーズ)に次ぐ3番手だった。
カーメロは自身のポッドキャスト番組『7PM in Brooklyn With Carmelo Anthony』で、「第3オプションであるということは、別の場所から来たということ。おそらく元の(所属)チームは君を中心に、君がコントロールしていた状況だった。その状況下で、君は『勝つためにどこかに行きたい』と決断した。そうなれば、役割は減少する。第1オプションでも、第2オプションでもない。第3オプションは、1番手や2番手とは対照的に、すごく特殊で高度な役割を担うことになる」と語った。
「第3オプションとしてではなく、『よし、ベンチから出てやる。俺がベンチからコートに立ったら第1オプションだ』と思っていた」
当時の心構えを回想したカーメロ。ロケッツでプレーするにあたっては、サンダー時代の経験が大きかったという。
「ヒューストンでは、ベンチに回るのは俺にとってはベターだった。CP(ポール)、ジェームズ(ハーデン)、(クリント)カペラに次ぐ4番手にはなりたくなかったからね。PJ・タッカーもあのチームのオプションだった」
ロケッツでは役割に馴染めず10試合で放出されたカーメロだが、19年11月に加入したブレイザーズではデイミアン・リラード(現ミルウォーキー・バックス)、CJ・マッカラム(現ニュオーリンズ・ペリカンズ)に次ぐ3番手として奮闘。翌20-21シーズンは、自身初となるシックスマン役を担い、平均13.4点、3ポイント成功率40.9%の成績を残した。
また、現役ラストイヤーとなった21-22シーズンのレイカーズでもシックスマン起用となったが、平均13.3点、3ポイント成功率37.5%とベンチから存在感を示した。
レブロンのように、40歳となっても主軸としてプレーし続けられるのは稀有なパターン。黒子役を受け入れられずにキャリアを終えるスターも少なくない。カーメロは年齢による衰えも受け入れたうえで、自分の生きる道を切り開いた好例と言えるだろう。
構成●ダンクシュート編集部
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19年間のキャリアで1260試合に出場して歴代10位の通算2万8289得点、オールNBA2ndチーム選出2回、同3rdチーム選出4回、オールスター出場10回、NBA75周年記念チーム選出と輝かしい実績を誇る。
23年5月に現役を引退。昨年12月に発表された25年の殿堂入り候補者にノミネートされたことからも、カーメロの実力と偉大さに疑いの余地はない。ただ、ナゲッツとニックスでは絶対的エースとして君臨した一方で、17年のサンダー移籍以降は明らかに序列が落ちた。
2017-18シーズンのサンダーではラッセル・ウエストブルック(現デンバー・ナゲッツ)、ポール・ジョージ(現フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)に続く3番手。翌18-19シーズンのロケッツでもジェームズ・ハーデン(現ロサンゼルス・クリッパーズ)、クリス・ポール(現サンアントニオ・スパーズ)に次ぐ3番手だった。
カーメロは自身のポッドキャスト番組『7PM in Brooklyn With Carmelo Anthony』で、「第3オプションであるということは、別の場所から来たということ。おそらく元の(所属)チームは君を中心に、君がコントロールしていた状況だった。その状況下で、君は『勝つためにどこかに行きたい』と決断した。そうなれば、役割は減少する。第1オプションでも、第2オプションでもない。第3オプションは、1番手や2番手とは対照的に、すごく特殊で高度な役割を担うことになる」と語った。
「第3オプションとしてではなく、『よし、ベンチから出てやる。俺がベンチからコートに立ったら第1オプションだ』と思っていた」
当時の心構えを回想したカーメロ。ロケッツでプレーするにあたっては、サンダー時代の経験が大きかったという。
「ヒューストンでは、ベンチに回るのは俺にとってはベターだった。CP(ポール)、ジェームズ(ハーデン)、(クリント)カペラに次ぐ4番手にはなりたくなかったからね。PJ・タッカーもあのチームのオプションだった」
ロケッツでは役割に馴染めず10試合で放出されたカーメロだが、19年11月に加入したブレイザーズではデイミアン・リラード(現ミルウォーキー・バックス)、CJ・マッカラム(現ニュオーリンズ・ペリカンズ)に次ぐ3番手として奮闘。翌20-21シーズンは、自身初となるシックスマン役を担い、平均13.4点、3ポイント成功率40.9%の成績を残した。
また、現役ラストイヤーとなった21-22シーズンのレイカーズでもシックスマン起用となったが、平均13.3点、3ポイント成功率37.5%とベンチから存在感を示した。
レブロンのように、40歳となっても主軸としてプレーし続けられるのは稀有なパターン。黒子役を受け入れられずにキャリアを終えるスターも少なくない。カーメロは年齢による衰えも受け入れたうえで、自分の生きる道を切り開いた好例と言えるだろう。
構成●ダンクシュート編集部
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