マジックの復帰に際し、ユタ・ジャズのカール・マローンはHIV感染の危惧を口にして物議を醸したが、翌93年のソルトレイクシティ大会では、そのマローンが盟友ジョン・ストックトンとともに主役を張った。
マローンが28得点、10リバウンド、ストックトンは15アシストとそれぞれが持ち味を存分に発揮し、揃ってMVPに選出。受賞者が2人だったのは過去に4度あるものの、チームメイト同士での受賞はこれが史上唯一の例である。
94年からは、10年間行なわれていたレジェンズ・ゲーム(過去の名選手を集めた試合)に代わってルーキーゲームが始まり、最多の22得点をマークしたアンファニー・ハーダウェイ(オーランド・マジック)が初代MVPに選ばれた。2000年からはルーキー・チャレンジと名称が変わり、試合もルーキーチームとソフォモア(2年目)チームが対戦する方式に変更。これは99年大会が中止となって、同年の新人が出場できなかったのを救済する意味もあった。さらに12年からは、1年目・2年目の選手の混合チームで戦うライジングスターズ・チャレンジ(18年以降はライジングスターズ)として継続中だ。
96年は、2年間引退していたジョーダンが3年ぶりにオールスターに帰ってきた。20得点をあげて8年ぶり2度目のMVPを獲得すると、翌97年には14得点、11リバウンド、11アシストをマークし、大会史上初のトリプルダブルを達成。この年のMVPは第3クォーターだけで20得点を叩き出し、クォーター最多得点記録を作ったグレン・ライス(シャーロット・ホーネッツ)に譲ったが、98年に3度目のMVPに輝く。後継者と目されていた19歳のコビー・ブライアント(レイカーズ)とのマッチアップもファンを沸かせた。
97年はNBA50周年ということで、リーグ史上最高の選手50人が選出。72歳のジョージ・マイカン(元レイカーズ)や60歳のウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)をはじめとする、47人の名選手たちがクリーブランドのガンド・アリーナに集結し、ハーフタイム中に表彰が行なわれた。
マローンが28得点、10リバウンド、ストックトンは15アシストとそれぞれが持ち味を存分に発揮し、揃ってMVPに選出。受賞者が2人だったのは過去に4度あるものの、チームメイト同士での受賞はこれが史上唯一の例である。
94年からは、10年間行なわれていたレジェンズ・ゲーム(過去の名選手を集めた試合)に代わってルーキーゲームが始まり、最多の22得点をマークしたアンファニー・ハーダウェイ(オーランド・マジック)が初代MVPに選ばれた。2000年からはルーキー・チャレンジと名称が変わり、試合もルーキーチームとソフォモア(2年目)チームが対戦する方式に変更。これは99年大会が中止となって、同年の新人が出場できなかったのを救済する意味もあった。さらに12年からは、1年目・2年目の選手の混合チームで戦うライジングスターズ・チャレンジ(18年以降はライジングスターズ)として継続中だ。
96年は、2年間引退していたジョーダンが3年ぶりにオールスターに帰ってきた。20得点をあげて8年ぶり2度目のMVPを獲得すると、翌97年には14得点、11リバウンド、11アシストをマークし、大会史上初のトリプルダブルを達成。この年のMVPは第3クォーターだけで20得点を叩き出し、クォーター最多得点記録を作ったグレン・ライス(シャーロット・ホーネッツ)に譲ったが、98年に3度目のMVPに輝く。後継者と目されていた19歳のコビー・ブライアント(レイカーズ)とのマッチアップもファンを沸かせた。
97年はNBA50周年ということで、リーグ史上最高の選手50人が選出。72歳のジョージ・マイカン(元レイカーズ)や60歳のウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)をはじめとする、47人の名選手たちがクリーブランドのガンド・アリーナに集結し、ハーフタイム中に表彰が行なわれた。
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