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国内バスケ

【連載インタビュー】シェーファーアヴィ幸樹/後編「(八村)塁は圧倒的に上にいるけど、少なくとも僕はライバルだと思っている。彼の活躍は悔しいけど嬉しい」

萩原誠(ダンクシュート編集部)

2020.03.18

W杯のアメリカ戦後に、同じブリュースター・アカデミー出身のミッチェルと笑顔で再会。(C)Getty Images

W杯のアメリカ戦後に、同じブリュースター・アカデミー出身のミッチェルと笑顔で再会。(C)Getty Images

――日本代表ではフリオ・ラマスHCからどのような役割を任されているのですか?

ピック&ロールの精度を上げることですね。相手のディフェンスに対してピックのアングルを変えることとか、ダイブのスピードを上げてフィニッシュを決め切ることとか。とにかく日本代表にはスコアラーはいくらでもいるので、僕自身、合わせがメインになってくると思います。あとは本当にディフェンスですね。世界レベルの選手を止められるように、ディフェンスを磨いていきたいです。

僕はあくまで日本人選手としては跳べる方だし、走れるというのはあるのかもしれないですけど、世界レベルで見ればむしろ跳べない方だし、スピードも高さもないです。そういう意味では足りないものばかりなので、コートに出たら常に走って、身体を張って、自分ができることをやるだけです。

――ワールドカップでは強豪国ばかりでしたが、印象に残った選手や参考にしたい選手はいましたか?

トルコとチェコはどちらもビッグマンにいい選手がいたので、参考にするというよりは、あの選手を抑えられるようにならなきゃなと思いました。あとはアメリカのドノバン・ミッチェルは印象的でしたね。

――ブリュースター・アカデミーの先輩ですね。試合後には会話もしていましたよね?

「ブリュースターだよね」みたいな感じで向こうから話しかけてくれて。「日本に行ってみたいんだよね」と言っていたので、「ぜひ来てよ」と言っておきました(笑)。

彼とは在籍はかぶってないんですけど、僕がブリュースターにいた時に1度来たことがあったんです。むこうの人は特に母校を大事にしますけど、ドノバンもそうでしたね。
 
――昨年、大学を中退して日本のBリーグでプレーすることになりましたが、その決断に至るにはどのような思いがあったんでしょうか。

やはりひとつはオリンピックの存在が大きいです。自国開催のオリンピックは望んで出られるものではないですし、どんなアスリートにとっても夢だと思います。それを達成するにはどうするべきかを考えた時に、帰ってくるという決断が自分にとってはいいのかなと感じました。

大学ではプレータイムを得られていなかったので、出場機会をもらえる環境というのは大事でしたし、あとはウォークオン(奨学金なし)という立場で次のシーズンに出られる保証もなかったので、日本に帰ってくる決断をしました。

――決断するまでに誰かに相談したりはしていたのでしょうか?

もちろん親には相談しました。最初に父に話した時には「ありえない」、「大学は卒業しなさい」と言われたんですけど、話を重ねていくなかでやはり後悔のないようにということで、最終的にはむしろ帰ってきた方がいいと背中を押してくれました。
 
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