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NBA

2012、13年ヒート連覇の立役者に。当代随一の頭脳派、シェーン・バティエの華麗なるキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.04.23

ロケッツ時代は2年連続でオールディフェンシブチームに選出されるなど、頭脳的な守備でチームを支えた。(C)Getty Images

ロケッツ時代は2年連続でオールディフェンシブチームに選出されるなど、頭脳的な守備でチームを支えた。(C)Getty Images

 それでも2004-05シーズン、バティエは先発の座を取り返す。それは彼が、自身の可能性と限界を見定めて、ロールプレーヤーとしての立場を確立したからに他ならない。「彼の真価はボックススコアに表われない部分にある。相手のパスを弾き飛ばし、ルーズボールに飛び込み、スクリーンを遂行する……しかも1つの試合で5つのポジションを守りながら、だ」(『スポーティング・ニューズ』誌)。

 翌2005-06シーズン後には、新人のルディ・ゲイ(現サンアントニオ・スパーズ)らとの交換でヒューストン・ロケッツへ移籍する。ヒューストンのファンは有望なルーキーの放出に不満を露わにしたが、ダリル・モーリーGMは自分が何を手に入れたのかをよくわかっていた。

「大金を費やすことなく効果的な補強を行なうため、我々は本当の価値が見過ごされている選手たちをリストアップしていったのだが、そのトップにバティエの名があった」。すでにT-MAC(トレイシー・マッグレディ)やヤオ・ミンを擁するチームにとっては、ゲイのような点取り屋ではなく、攻守で貢献できるバティエのような脇役こそが打ってつけだったのだ。

 果たしてこの年、バティエは「ウィン・シェアーズ(勝利貢献ポイント)」という統計項目でチームトップの9.0を記録する。2人で50点近くを稼いでいたT-MACとヤオ以上に、勝利への貢献度が高かったというわけだ。「シェーンのことは“レゴ”と呼んでいるんだ。彼がコートに立っている時、チームのすべての部品が機能的につながっていくからね」(モーリーGM)。
 
 2008、09年には2年連続でオールディフェンシブ2ndチームに選出。本能や身体能力に頼るのではなく、ビデオやデータを分析して相手選手の特徴を的確に把握し、先の先まで攻撃パターンを読み切る頭脳的なディフェンスで、コビー・ブライアントやポール・ピアースといったスコアリングマシンを苦しめた。

 スター選手の脇を固める役割を与える上で、バティエは最高の人材だった。ただ、06年に日本で行なわれた世界選手権(現ワールドカップ)でも、レブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)やドゥエイン・ウェイド(元ヒートほか)らとともにアメリカ代表に選ばれたが、あくまでもサポート役であり、1人でチームを引っ張るほどの力量がなかったのも事実。だからだろう、T-MACとヤオが故障に苦しむようになり、チームの再建を迫られると、ロケッツ首脳陣は11年2月、バティエをあっさりとグリズリーズへ放出したのだ。
 
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