専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

「バスケは夢を実現するためのステップになってくれた」コビーに影響を与え、引退後も世界を闊歩するロニー・トゥリアフの終わらぬ旅

小川由紀子

2020.05.04

孤高の存在だったコビーに対しても物怖じせず、チームを去る頃には親友と呼べる関係にまでなった。(C)Getty Images

孤高の存在だったコビーに対しても物怖じせず、チームを去る頃には親友と呼べる関係にまでなった。(C)Getty Images

 また2007-08シーズンまで3年間過ごしたレイカーズで、トゥリアフはもうひとつ、価値ある偉業を残している。それは、チームの大エースだったコビー・ブライアントを“変えた”ことだ。トゥリアフは、コビーが20年間のキャリアで友情を育んだというわずか4人の同僚の1人として名を挙げられている(あとの3人はカロン・バトラー、デレック・フィッシャー、パウ・ガソル)。

 トゥリアフが入団した当時、シャキール・オニールが去ったレイカーズでコビーは絶対的なリーダーになっていたが、自他ともに厳しい彼は同時に、近寄りがたさも漂わせていた。しかし元来おおらかな性格だったトゥリアフは、物怖じすることなくコビーに接した。それまでチームバスでは、誰もコビーの指定席の近くに寄り付かなかったが、トゥリアフは隣に座ると、平気でコビーに話しかけてはチームメイトたちを唖然とさせたという。
 
 少年時代にイタリアやフランスで過ごした経験をもつコビーはヨーロッパのカルチャーに興味があり、欧州人とは特に親しくしていたと言われているが、自分と屈託なく接するトゥリアフにも心を許すようになった。ある時には、遠征先のホテルで夜中の1時頃に突然コビーから「今から5分後にロビーに来い!」と呼び出され、近くの店でミルクシェイクをすすりながら、ゲームプランや人生について語り合ったという。クラブ広報が却下するような単独インタビューも、コビーはフランスのスポーツ紙やバスケ専門誌には、「トゥリアフの仲介でなら」と応じることもあった。

 トップでいるためには孤高の存在であるべきだという信念があったコビーだが、人との関わりを大切にするトゥリアフに感化され、他者とつながることでリーダーシップがより発揮されることに気づいてからは少しずつオープンになっていった。そしてトゥリアフがレイカーズを去る頃には、ホテルの自室に仲間を呼んで、ゲームをするまでになっていた。

 2008年オフ、4年1700万ドルというオファーを提示されてトゥリアフがゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍することが決まった際には、「とても悲しい。彼はキープしてほしかった。彼のことは人として大好きだった。バスケットボール選手としてもね。だから彼が去ってしまうのは耐えがたいが、これがNBA選手の宿命だ…」とコメントしている。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号