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NBA

スポーツ無名校における“例外”的存在。ウェイド、バトラーらを輩出したマーケット大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.05.04

「真のプロフェッショナル」と評されたルーカスは、全米制覇を成し遂げた母校と時を同じく、ブレイザーズ時代の1977年にリーグ制覇を経験。(C)Getty Images

「真のプロフェッショナル」と評されたルーカスは、全米制覇を成し遂げた母校と時を同じく、ブレイザーズ時代の1977年にリーグ制覇を経験。(C)Getty Images

 同年に3度目の最優秀コーチ賞を受賞したマグワイアは、優勝を置き土産に勇退。その後はカレッジバスケットの解説者として活動を続け、1992年にディックより1年早く殿堂入りを果たした。現在マーケット大のバスケットボールコートは、アル・マグワイア・センターの名が冠されている。息子のアリーもマーケット大の卒業生で、父や伯父と同じく、2試合のみながらニックスに在籍した。

 NBAで最初に成功したマーケット大出身者はドン・コージス。1964年にワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)に入団すると、1968年に新球団のサンディエゴ(現ヒューストン)・ロケッツへ移籍して中心選手となり、2年連続でオールスターに選ばれた。

 1971年にマーケット大の選手として初のオールアメリカンに選出されたディーン・メミンジャーは、1973年にニックスが優勝した際の控えガード。在学中に平均20.4点の学校記録を打ち立てたジョージ・トンプソンは、ABAでも通算20.1点をあげて3度オールスターに出場したものの、NBAでは地元のミルウォーキー・バックスで1年プレーしただけだった。
 
 ジム・チョーンズはキャブズの先発センターとして活躍したのち、1980年にロサンゼルス・レイカーズで優勝を経験。2016年にはキャブズの試合前にベースギターで国歌を演奏し、その微妙すぎるパフォーマンスで観客を戸惑わせたこともあった。

 カンザスシティ(現サクラメント)・キングスの控えフォワードだったラリー・マクニールは、1980年代はフィリピンリーグのPBAに働き場を移し、1試合88得点のリーグ新記録(当時)を樹立している。

 ウェイド以前のマーケット大出身者で、最高の選手だったのはモーリス・ルーカスだ。準優勝した1974年のチームの主力だったルーカスは「自己中心的な部分がまったくない、真のプロフェッショナル」(元シカゴ・ブルズHCのロッド・ソーン)で、屈強な肉体を生かしペイントゾーンを制圧。ポートランド・トレイルブレザーズ時代にはチームのトップスターだったビル・ウォルトンの用心棒を務め、母校と同じく1977年に球団初優勝を成し遂げた。
 
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