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NBA

大型PGとして人気を博したペニーが波乱のキャリアを回想。“早熟の天才”が「最も失望した時間」とは?

ダンクシュート編集部

2020.06.10

本人が「抜け殻になったような状態だった」と振り返ったニックス時代。元オールスターは大都市NYで約2年間プレーしたが、平均8.2点、3.5リバウンドと平凡な成績に終わった。(C)Getty Images

本人が「抜け殻になったような状態だった」と振り返ったニックス時代。元オールスターは大都市NYで約2年間プレーしたが、平均8.2点、3.5リバウンドと平凡な成績に終わった。(C)Getty Images

 97年12月にヒザを痛めて離脱。年明けに復帰するも、「70%」の状態でコートに戻ってヒザの痛みが再発し、後半戦を棒に振った。

「手術した瞬間から、スピードや爆発力が元に戻ることはなかった。私はケガを克服しようとしたけど、良くはならなかった。本当に疲れたよ。ハードワークして、健康にはなっても、以前のようにはプレーできなかったんだ。一日も心が休まることはなかった」

 99年にフェニックス・サンズへトレードされたペニーは、2000年のプレーオフ1回戦サンアントニオ・スパーズ戦でヒザを負傷。それでもプレーを続けた結果、翌年はわずか4試合の出場に終わっている。4年半在籍したサンズでは、全盛期の輝きは失われて完全にロールプレーヤーに降格した。

 そして、ペニーが「最も失望した時間」と振り返ったのが、ニューヨーク・ニックス時代だ。

 2004年1月にステフォン・マーブリーらとともにトレードで移籍したが、2シーズン半で出場83試合(先発4試合)、平均8.2点、3.5リバウンド、1.9アシスト、FG成功率40%止まり。“バスケットボールのメッカ”と呼ばれる地で、低迷する名門を救う活躍はできなかった。ペニーはそのことに少なからず後悔を覚えているという。
 
「ニューヨークという最大のステージにある街にいたのは、本当の私じゃなかった。抜け殻になったような状態だった。私は自分らしくありたいと、自らを奮い立たせたけど、叶わなかった。ニューヨークが大好きだったんだ。あそこには最高レベルのファンがいて、私にふさわしいと感じていた。ニックスでプレーすることは大いなる名誉で、それを軽く受け止めたことはなかった。でも、家に帰ると、自分が自分でないことが本当に嫌だった」

 その後、06年2月に古巣マジックへトレードされるも1試合もプレーせず解雇。1年間のブランクを経て07年にマイアミ・ヒートと契約を結んだが、シーズン途中に解雇されて事実上の現役引退となり、儚くNBAキャリアに幕を閉じた。通算15シーズンで704試合に出場し、平均15.2点、4.5リバウンド、5.0アシスト。それでも、ペニーは若き日を自ら高く評価する言葉を最後に残している。

「全盛期、私はベストプレーヤーの1人だった」

 おそらく、ペニーの主張に反論する者はほとんどいない。“ケガさえなければ……”、本人同様、ファンもそう悔やむ気持ちのほうがきっと強いだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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