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NBA

「あの時、ジョーダンをガードしていた人」ミスをしていなくとも戦犯のように扱われたイーローのキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.07.11

 このあまりにも劇的なシュートは、ジョーダン伝説の重要な1ページとなる。そのリプレーは何度となくテレビで流され、咆哮するジョーダンの傍らでコートにへたり込むイーローの姿も、視聴者の記憶に鮮明に刻み込まれることになった。

 イーロー自身は何ひとつミスを犯していないにもかかわらず、彼にはキャブズ敗退の戦犯でもあるかのような印象が付きまとっている。それでもイーローは、このような形で人々に記憶されていることについて「何とも思っていない」と言う。

「あれで私の知名度は一気に上がったからね。どこへ行っても、『あの時、ジョーダンをガードしていた人ですよね?』って言われるほどさ(笑)」

 長年、ジョーダンは自身が選ぶベストショットにこの“ザ・ショット”を挙げていたが、その後“ラストショット”(1998年のファイナル第6戦の決勝シュート)に変更されたことについてイーローは、こんな風に不満を口にしてもいた。「彼に問いただしたいよ。なぜ私をトップの座から引きずり下ろしたのか?ってね」。
 
■引退後には薬物中毒に陥り、家庭内暴力で逮捕も

 キャブズは1991-92シーズンにも球団記録に並ぶ57勝をマーク。今度はカンファレンス決勝でブルズと対戦するのだが、2勝4敗でまたしてもその軍門に降ってしまった。その後はブラッド・ドアティの故障などもあって徐々に戦力を落とし、次にキャブズがカンファレンス決勝を戦うのは15年後、レブロン・ジェームズが入団して以降になる。

 イーローは1992-93シーズン限りでキャブズを去り、恩師レニー・ウィルケンズが指揮を執るアトランタ・ホークスへ移籍。1996年にはシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)と3年契約を結んだが、背中を痛め、1年間プレーしただけで翌年に引退した。

 その後は大学に戻って学位を取得。ソニックスやゴンザガ大の試合で解説者を務めたり、高校のヘッドコーチやイースタン・ワシントン大のアシスタントコーチなどを歴任した。
 

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