専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

同窓のジョーダンとは対照的な“エゴとは無縁の男”。サム・パーキンスの愛すべきキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.07.17

 90年にFAとなった際には、レイカーズから6年1800万ドルという、当時としては破格の好条件を提示される。「同額ならダラスに残る」とGMに約束していたパーキンスだが、マブズはマッチせず移籍が決定。最終的な金額は1920万ドルで、FA選手としては史上最高額(当時)であった。

■結局頂点には立てなかったマブズ史上最も愛された男

 レイカーズ移籍後の成績はマブズ時代と大差がなかったものの、シュートが上手いパーキンスが加わったことで、マジック・ジョンソンや、大学以来再びチームメイトになったウォージーがドライブしやすい状況が生まれた。

「チームのためにすべてを犠牲にできる男さ。自分の名前を売ろうなどとは一切思わない。スタッツシートだけを眺めていては、彼の真価はわからないよ」(ウォージー)。90-91シーズンはブレイザーズが好調でレイカーズは地区10連覇を阻まれたが、プレーオフのカンファレンス決勝で見事に雪辱する。3勝2敗で迎えた第6戦、チーム最多の26点を稼ぎ出し、ファイナル進出の立役者となったのがパーキンスだった。

 迎えたシカゴ・ブルズとのファイナル第1戦でも、パーキンスは2点を追う残り14秒で値千金の逆転3ポイントをヒット。これが決勝点となってレイカーズが先勝した。だが勝ったのはこの1試合のみ。5戦中3試合で20点以上と健闘したパーキンスだったが、旧友ジョーダンの初戴冠を眺める結果となった。
 
 その後、92-93シーズン途中にシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へトレードされると、HCのジョージ・カールの薦めでアウトサイドシュートに磨きをかける。その結果、それまで年間19本が最多だった3ポイント成功数は、翌93-94シーズンに99本へ急増。さらに3ポイントラインが短くなった94-95シーズンには136本に達した。

 ユタ・ジャズと対戦した96年のカンファレンス決勝でも、35本中15本の長距離砲を沈め、ファイナル進出に大きく貢献したが、肝心のブルズとのファイナルではシュートスランプに陥り、またしてもジョーダンの引き立て役に終わってしまった。
 

DAZNなら「プロ野球」「Jリーグ」「CL」「F1」「WTAツアー」が見放題!充実のコンテンツを確認できる1か月無料体験はこちらから

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号