2003年の入団当初から、ひたむきにゴールに飛び込んでくる鮮烈なプレースタイルが多くのファンの心を掴んだ。2006年、シャキール・オニールやアロンゾ・モーニング、ゲイリー・ペイトンといったビッグネームをサポーティングキャストに押しやり、エースとして初優勝に大きく貢献。特にダラス・マーベリックスとのファイナルでは平均34.7点と大爆発し、ほぼ独力でマイアミに逆転勝利をもたらしたパフォーマンスは伝説となっている。
また、2010年にレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュと“スリーキングス”を結成以降は、レブロンに次ぐNo.2にスムースに収まる適応能力も示した。通算得点や出場時間、アシスト、スティールはすべてフランチャイズ史上1位。晩年はブルズ、クリーブランド・キャバリアーズにも移籍したが、最後にヒートに戻ってキャリアを終えたことは、地元ファンに対する最高のプレゼントとなった。ウェイドの名声と功績はマイアミで永遠に語り継がれ、いつしか時を超えていくに違いない。
【スモールフォワード】
レブロン・ジェームズ
1984年12月30日生。206cm・113kg
在籍期間:4シーズン(2010~14)
成績:294試合、平均26.9点、7.6リバウンド、6.7アシスト
2010年夏、満場一致で当時のリーグベストプレーヤーだったレブロンは、電撃的にヒートへの移籍を表明。ウェイド、ボッシュとの強力トリオがここに誕生し、NBAの歴史は少なからず変化した。
以降、チームは4シーズン連続でファイナルに進出し、2012、13年には連覇を達成。この4年間でレブロンは平均26.9点、7.6リバウンド、6.7アシストを叩き出し、2度のシーズンMVPに輝く。その過程で、NBAプレーヤーとして完成の域に到達し、現役にしてレジェンドの1人として数えられるまでになったのだった。
これから先も、レブロンはやはり“キャバリアーズの英雄”というイメージで記憶されていくのだろう。現役を終える頃には、現在所属するロサンゼルス・レイカーズでの印象の方が強烈になるのかもしれない。それでも、選手としてピークに達したヒート時代の功績が素晴らしかったことに変わりはない。レブロンが「カレッジに行ったような感じ」と表現したマイアミでの4年間が、忘れられることもないはずだ。
また、2010年にレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュと“スリーキングス”を結成以降は、レブロンに次ぐNo.2にスムースに収まる適応能力も示した。通算得点や出場時間、アシスト、スティールはすべてフランチャイズ史上1位。晩年はブルズ、クリーブランド・キャバリアーズにも移籍したが、最後にヒートに戻ってキャリアを終えたことは、地元ファンに対する最高のプレゼントとなった。ウェイドの名声と功績はマイアミで永遠に語り継がれ、いつしか時を超えていくに違いない。
【スモールフォワード】
レブロン・ジェームズ
1984年12月30日生。206cm・113kg
在籍期間:4シーズン(2010~14)
成績:294試合、平均26.9点、7.6リバウンド、6.7アシスト
2010年夏、満場一致で当時のリーグベストプレーヤーだったレブロンは、電撃的にヒートへの移籍を表明。ウェイド、ボッシュとの強力トリオがここに誕生し、NBAの歴史は少なからず変化した。
以降、チームは4シーズン連続でファイナルに進出し、2012、13年には連覇を達成。この4年間でレブロンは平均26.9点、7.6リバウンド、6.7アシストを叩き出し、2度のシーズンMVPに輝く。その過程で、NBAプレーヤーとして完成の域に到達し、現役にしてレジェンドの1人として数えられるまでになったのだった。
これから先も、レブロンはやはり“キャバリアーズの英雄”というイメージで記憶されていくのだろう。現役を終える頃には、現在所属するロサンゼルス・レイカーズでの印象の方が強烈になるのかもしれない。それでも、選手としてピークに達したヒート時代の功績が素晴らしかったことに変わりはない。レブロンが「カレッジに行ったような感じ」と表現したマイアミでの4年間が、忘れられることもないはずだ。