話し相手がいないときでさえ、彼の口は閉じることがなかった。母親のドナは述懐する。
「子どもの頃からそうだったのよ。1人でボールを突きながら何事か叫んでいるのを見たときは、ちょっとおかしいんじゃないかしらと思ったけど(笑)」
当時のNBAにはレジー・ミラーやゲイリー・ペイトンのように、トラッシュトークを戦略に用いていた選手が数多くいた。ただキャセールの場合は、単に口が動き始めたら止まらないだけだったのだ。
96年8月、チャールズ・バークレーとの交換要員の1人として、キャセールはサンズへ移る。その後ダラス・マーベリックスを経て移籍したニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツで、初めて先発に定着。97-98シーズンは平均19.6点、8.0アシストの好成績でプレーオフ出場の原動力となった。しかし、翌年は右足首の負傷で長期欠場。ジョン・カリパリHCとの関係も徐々に悪化し、3月にミルウォーキー・バックスへトレードされた。
■“スーパー”ではなかったが、在籍チームは軒並み成績を向上
ミルウォーキーでプレーした約4年間で、キャセールのキャリアはピークを迎える。99-00シーズンにはペイトンにわずか3本差のリーグ2位となる729アシストを記録し、チームを2年連続のプレーオフへ導く。レイ・アレン、グレン・ロビンソンという2人の優秀なシューターにボールを回しつつ、自らも機を見つけては着実に得点を重ねた。2000-01シーズンにはカンファレンス決勝に進出するなどチームも飛躍を遂げ、リーグトップクラスのPGという評価を揺るぎないものとした。
03-04シーズンにはミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍し、ここでもケビン・ガーネット、ラトレル・スプリーウェルらを自在に操り、7年連続でプレーオフ1回戦敗退と停滞していたチームを、初のカンファレンス決勝へ導く。この年は平均19.8点、FG成功率48.8%、3ポイント成功率39.8%とキャリアベストを更新。34歳にして初めてオールスターに出場し、オールNBA2ndチームにも選出された。
「子どもの頃からそうだったのよ。1人でボールを突きながら何事か叫んでいるのを見たときは、ちょっとおかしいんじゃないかしらと思ったけど(笑)」
当時のNBAにはレジー・ミラーやゲイリー・ペイトンのように、トラッシュトークを戦略に用いていた選手が数多くいた。ただキャセールの場合は、単に口が動き始めたら止まらないだけだったのだ。
96年8月、チャールズ・バークレーとの交換要員の1人として、キャセールはサンズへ移る。その後ダラス・マーベリックスを経て移籍したニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツで、初めて先発に定着。97-98シーズンは平均19.6点、8.0アシストの好成績でプレーオフ出場の原動力となった。しかし、翌年は右足首の負傷で長期欠場。ジョン・カリパリHCとの関係も徐々に悪化し、3月にミルウォーキー・バックスへトレードされた。
■“スーパー”ではなかったが、在籍チームは軒並み成績を向上
ミルウォーキーでプレーした約4年間で、キャセールのキャリアはピークを迎える。99-00シーズンにはペイトンにわずか3本差のリーグ2位となる729アシストを記録し、チームを2年連続のプレーオフへ導く。レイ・アレン、グレン・ロビンソンという2人の優秀なシューターにボールを回しつつ、自らも機を見つけては着実に得点を重ねた。2000-01シーズンにはカンファレンス決勝に進出するなどチームも飛躍を遂げ、リーグトップクラスのPGという評価を揺るぎないものとした。
03-04シーズンにはミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍し、ここでもケビン・ガーネット、ラトレル・スプリーウェルらを自在に操り、7年連続でプレーオフ1回戦敗退と停滞していたチームを、初のカンファレンス決勝へ導く。この年は平均19.8点、FG成功率48.8%、3ポイント成功率39.8%とキャリアベストを更新。34歳にして初めてオールスターに出場し、オールNBA2ndチームにも選出された。