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NBA

「エリート」のユーイングと「落ちこぼれ」のスタークス。対照的なふたりがニックスを強豪に押し上げるまで【NBAデュオ列伝・前編】

出野哲也

2020.10.05

 その後もスーパーマーケットで袋詰めをして学費を稼ぎながら、学校を転々とした。短大を含めると4つ目の大学となるオクラホマ州大でようやく結果を出し、ドラフト外で1988年にウォリアーズへ入団。しかし背中を痛めて1年限りで解雇され、1990年はマイナーリーグのCBAでプレーするなど、依然としてスポットライトからは遠い存在だった。

 その頃、ユーイングはNBAのスター選手として揺るぎない地位を築いていた。ルーキーイヤーは平均20.0点、9.0リバウンドをマークし新人王に選出。中距離からのジャンプショットを得意とし、速攻にからむ走力も備えていた彼のプレースタイルは、それまでの典型的なセンターとは異なり、NBAに新風を吹き込んだ。

 だが、その後数年間は周囲が期待するほどの活躍ができず。期待の大きさに加え、ニューヨークという土地柄もあって、ユーイングに対するメディアの論調やファンの反応は厳しかった。

「パトリックは無口だし、開放的な性格ではないからな。ニューヨークとは相性が合わないのも仕方なかったんだ」(チャールズ・オークレー)

 真面目な性格のユーイングは、そうした声に過敏に反応してさらに関係をこじれさせた。「リーダーシップが足りない」「勝負どころで頼りにならない」といった批判は、ユーイング叩きの常套句となった。
 
 しかし、5年目の1989-90シーズンには自己最高の平均28.6点を記録し、初めてオールNBA1stチームに選出。スタークスがニックスのトレーニングキャンプに姿を現わしたのは、そのオフのことだった。

 首脳陣はスタークスにまずまずの印象を抱いたものの、これといった決め手も感じなかった。キャンプ最終日には解雇する方針が決まっていたが、その日の練習ですべてを覆す出来事が起きる。スタークスがユーイング越しにダンクを試みたのだ。

「チームに残るには、何か特別なことをしなけりゃならないと思っていたんだ」

 その無謀な試みはあっさりと跳ね返され、コートに叩きつけられたスタークスは、足首をひねって担架で担ぎ出されてしまう。しかし、彼のガッツは首脳陣に強いインパクトを与えた。故障者リストに入っている選手を解雇できない規則も幸いし、スタークスは運良くロスターに残ることができたのだった。
 
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試合では闘志剥き出しのスタークスだが、オフコートでは大人しくユーイングとも良好な関係に

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