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NBA

“ミラクル・ニックス”の立役者スプリーウェル&ヒューストン。正反対の個性を持った奇跡のコンビ【NBAデュオ列伝|後編】

出野哲也

2020.11.12

結成1年目でファイナルに勝ち進んだが、その後は優勝戦線から遠ざかり、5年でコンビ解散を迎えた。(C)Getty Images

結成1年目でファイナルに勝ち進んだが、その後は優勝戦線から遠ざかり、5年でコンビ解散を迎えた。(C)Getty Images

■契約と補強方針を巡って浮上した2人の不仲説

 99-00シーズン、スプリーウェルはニックスと長期契約を締結。オールスターに初出場したヒューストンともども、衰えの目立つユーイングに代わるチームの中心的存在として認められた。プレーオフでもトロント・ラプターズ、そしてヒートを撃破してカンファレンス決勝まで進んだが、ペイサーズに敗れ2年連続ファイナル進出はならなかった。

 結局、ニックスが優勝戦線に食い込んだのはこのシーズンが最後だった。00-01シーズンはプレーオフ1回戦でラプターズに敗退。最終戦で不調だったヒューストンに対し、スプリーウェルが批判的な談話を口にしたため、2人の不仲説も流れた。

 オフにヒューストンは6年間1億ドルという巨額の再契約を結んだが、スプリーウェルはチームが資金をビッグマン、とりわけ彼の親友であるウェバーの獲得に回さなかったとして不快感を隠さず、ヒューストンとの仲はさらにこじれたとも噂された。だがヒューストンはそうした噂を一笑に付した。

「メディアが皆“スプリーとの仲はどう?”なんて訊いてくるからおかしいよね。そもそも僕らの間に何も問題はないんだから」
 
 だが、この契約によってサラリーキャップが圧迫され、チームの補強策に支障をきたすようになったのは事実だった。スプリーウェルが主張したように、ニックスにとって本当に強化しなければならないインサイドは手薄なままで、ヒューストンの巨額契約は足かせになった。

 確かにヒューストンは重要な得点源だったが、基本的にオフェンス一辺倒で、ディフェンス面での貢献は限られていた。そんな選手に多額の資金を注ぎ込んだことは、その後ニックスが延々と繰り返すことになる失政の最初の一歩だった。

■あっけなく訪れた別離と寂しすぎるキャリアの終焉

「ニューヨークという街、そしてここでプレーできることを好きなれないわけがない。バスケットボール選手だったら誰でも、ここでプレーしたいと思うはずさ」

 ニックスに対する強い愛着を語っていたスプリーウェルだったが、決別の日はあっけなく訪れた。03-04シーズン、4球団を巻き込んだ大型トレードによって、ミネソタ・ティンバーウルブズへ移ることになったのだ。地元ファンの人気は絶大だったが、自家用ヨットで開いたパーティーの席上でケンカをして手を骨折したり、免停期間中に車を運転して逮捕されたりと、コートの外のトラブルが絶えなかったのも放出の原因になった。
 

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