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NBA

コインフリップ、ロッタリー、アーリーエントリー制度…73年の歴史を誇るNBAドラフトの歴史を紐解く

出野哲也

2020.11.13

 文字通りこれが運命の分かれ道になったのが69年で、大学バスケット史上最高の選手だったルー・アルシンダー(現カリーム・アブドゥル・ジャバー)を、コインフリップに勝ったミルウォーキー・バックスが手に入れ2年後に優勝。2位指名に甘んじたフェニックス・サンズはいまだに1度も優勝できていない。

 79年もコインフリップで勝ったロサンゼルス・レイカーズがマジック・ジョンソンを指名、敗れたシカゴ・ブルズはデイブ・グリーンウッドと大きく明暗が分かれた。

 85年からロッタリー制度が導入されたのは、ジョージタウン大のパトリック・ユーイングに関係がある。この頃すでに、少しでも上位の指名権を得るため、わざとレギュラーシーズンの順位を下げようとするタンキングは一般的に行なわれていた。85年ドラフトの目玉であるユーイングを獲得する際にも、そのような事態が起こることが十分に予想された。そこで単純なウェーバー順位ではなく、プレーオフに進めなかった全球団に、クジによって1位指名権のチャンスが与えられるようシステムを改めたのである。
 
 結果的に、第1回のロッタリードラフトでは勝率ワースト1位のインディアナ・ペイサーズではなく、3位のニューヨーク・ニックスがユーイングを引き当てた。大都市の人気球団に目玉選手が入団したことで、不正工作を疑っている人は今でもいる。その後は勝率の低かったチームに有利となるよう確率を変更したり、またクジで決めるのは上位3位までとするなど改善を加えながら、現在もロッタリー制は続いている。

■以前は指名制限がなかったが、1989年から2ラウンド制に

 現在では2巡目60人までの指名となっているドラフトだが、その昔はずっと指名人数が多かった。2巡目までになったのは89年で、初期には制限がなく欲しい選手がいなくなるまで延々と指名できた。60年からは21巡までに制限され、その後NBAがエクスパンションを繰り返して球団数が増えるのに合わせ、74年には10巡、85年からは7巡、88年から3巡と少しずつ減っていった。有名な下位指名選手では、ともに95年ヒューストン・ロケッツの優勝メンバーであるマリオ・エリー(85年7巡目160位)とチャールズ・ジョーンズ(79年8巡目165位)が最も低い部類に入る。
 

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