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NBA

アジア人初の1位指名が誕生した2002年。“中国の至宝”を巡る攻防と、人生が一変した2位指名選手の物語【NBAドラフト史】

大井成義

2020.10.15

2002年のドラフトで1位指名されたヤオ(左)と2位指名のウィリアムズ(右)。引退後も含めた2人の人生を辿る。(C)Getty Images

2002年のドラフトで1位指名されたヤオ(左)と2位指名のウィリアムズ(右)。引退後も含めた2人の人生を辿る。(C)Getty Images

 バスケットボール後進地域であるアジアから、初のドラフト1位指名選手が誕生したのは2002年のことだった。当初、トップピックが有力視されたジェイ・ウィリアムズは2位指名に落ち着いたが、悲劇はそのオフに起きる。ドラフト1、2位指名選手が引退後に辿った人生も交えながら、この年のドラフトを振り返っていこう。

■ヤオの参戦に上位指名権を持つチームが色めき立つ

 2002年のシーズンオフに書いた短いコラムのボツ原稿が、パソコンの中に残っている。書き出しはこうだ。

“01-02シーズン終了後にメディアを最も賑わしたのは、スリーピートを達成した王者レイカーズや、シャキール・オニール&コビー・ブライアントの最強デュオではなく、中国の“Hidden Dragon(隠された竜)”ことヤオ・ミンだった。身長229センチ、中国プロリーグのNo.1選手にして未完の大器が、NBAドラフトで1位指名されたのである”。
 
 それまで、アメリカのカレッジでプレー経験のない外国人選手のドラフト最高位は、2001年のパウ・ガソルの3位。それが、ことバスケットボールに関しては黒人や白人との間に大きな開きがあり、NBAではこれまで大成した者が1人もいないアジア人、それも東洋人が1位に選ばれたのだから、人々に与えた衝撃は並大抵ではなかった。

 当初、この年のドラフトで主役を飾るのは、デューク大3年のスターPG、ジェイ・ウィリアムズであると考えられていた。その前年、シェーン・バティエらとともにデューク大をNCAAトーナメント優勝に導き、翌年にはジョン・ウッデン・アウォードやネイスミス・アウォードなど主要個人賞を総なめにしている。シュート、パス、ドリブルのすべてにおいて卓越した能力を持ち、身体の強さや勝負強さ、リーダーシップを兼ね備え、10年に1人の逸材と目されていた。

 また、スポーツのみならず学業にも秀でており、大学3年間で社会学と経営学の学士号を取得し、3年で卒業資格を得たデューク大初のバスケットボール選手。全米規模で人気を誇り、将来のNBAを背負って立つであろうウィリアムズの1位指名は、約束されたようなものだった。
 
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