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NBA

コインフリップ、ロッタリー、アーリーエントリー制度…73年の歴史を誇るNBAドラフトの歴史を紐解く

出野哲也

2020.11.13

 変わり種では84年、1巡目3位でマイケル・ジョーダンを指名したブルズが、10巡目で陸上界のスター、カール・ルイスを指名。81年はゴールデンステイト・ウォリアーズが8巡目で、八村以前では唯一の日本人選手である岡山恭崇を指名した。

 ウォリアーズは、サンフランシスコを本拠としていた69年には女性選手デニース・ロングを13巡目で指名するも、リーグから無効とされる。そのため、記録上最初にして唯一指名された女性は、77年7巡目のルシア・ハリス(ニューオリンズ・ジャズ)となっている。ルイス、岡山、ハリスのいずれもNBAではプレーしなかった。

 ドラフトにエントリーできる資格も変わってきている。当初は大学で4年間過ごさなければプロ入りできなかったのが、ライバルリーグのABAがそうした制限を設けず、中退した選手たちを受け入れ始めたことなどもあって、NBAも71年にハードシップ・ルール (経済的理由によって早期のプロ入りを認める制度)を導入。76年には経済的状況に関係なくアーリーエントリーが認められ、大学を2~3年で中退してNBA入りする選手は増えていった。

 70年代後半には高卒選手のモーゼス・マローンが大きな成功を収めたが、高卒即プロ入りが珍しくなくなったのは、90年代後半にケビン・ガーネットやコビー・ブライアントが成功してからのこと。2001~04年にかけてはクワミ・ブラウン、レブロン・ジェームズ、ドワイト・ハワードの3人が高卒で1位指名された。06年には大学バスケット界との共存を図り高卒選手の指名は禁じられたが、22年からは再度認められるようになる。
 
 ドラフトは文字通り球団と選手の運命を左右する。前述の通り、ブルズは79年にコインフリップで負けてマジック・ジョンソンを取り逃がしたが、もしマジックが入団していたらすぐに強豪となり、84年にジョーダンは指名できていなかっただろう。マジックとラリー・バードのライバル物語も、レイカーズではなくブルズだったら劇的さは薄れただろうが、その代わりに、同じカンファレンスになってレギュラーシーズン中に何度も戦っていたはずだ。

 制度に多少の手直しはあっても、ドラフトを巡る様々なドラマは、今後もファンの関心を呼び続けるだろう。

■ドラフト年表
★1947年7月1日、ミシガン州デトロイトで第1回ドラフトが開催。80人が指名を受ける。 
★1949年、本拠地にゆかりのある選手を優先的に指名できるテリトリアル・ピックを導入。
★1960年、ドラフトラウンドが史上最長の21巡目に達する(1968年も同様)。 
★1966年、テリトリアル・ピックを廃止し、前年の東西の最下位球団がコインの裏表で1位指名権を決めるコイントス制度を導入。 
★1970年、史上最多となる239人が指名される。 
★1971年、経済的な理由がある選手が早期にプロ入りできるハードシップ・ルールを導入。
★1976年、大学を卒業せずにプロ入りできるアーリーエントリー制度を導入。 
★1980年、ドラフトのテレビ中継がスタート。 
★1981年、岡山恭崇が8巡目171位でウォリアーズから指名される(入団せず)。 
★1985年、前年にプレーオフ出場を逃したチームが、抽選で指名順位を決めるロッタリーシステム制度を導入。
★1989年、ドラフトラウンドが2巡目まで縮小。
★2001年、クワミ・ブラウンが高卒選手として初のドラフト1位指名を受ける。
★2002年、中国人のヤオ・ミンがアメリカの大学でプレー経験のない外国籍選手として初の1位指名を受ける。 
★2006年、高校生のドラフトエントリーが廃止に。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2018年3月号掲載原稿に加筆・修正。

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