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NBA

選手とコーチ両方で実績を残したスコット。勝率は下から2番目だが決して「凡庸なHC」ではない【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.12.18

 その後は新球団のバンクーバー(現メンフィス)・グリズリーズにエクスパンション・ドラフトで移り、NBAでの最後の年となった96-97シーズン、3年ぶりに古巣レイカーズに復帰する。そして97年、「ヨーロッパのバスケットボールに以前から興味があった」ことからギリシャに渡り、名門パナシナイコスに入団。リーグ優勝決定シリーズでは、対戦相手のテッサロニキのエースだったペジャ・ストヤコビッチのガードを任された。

「ペジャに『僕はNBAに行ったほうがいいですかね?』と訊かれたから、『君はここではベストの選手で、いつでもスターでいられるのだから、NBAで力を試してみるべきだ』と言ったんだ。その時は、まさか(サクラメント・キングスとニューオリンズ・ホーネッツで)彼を指導することになるとは思ってもみなかったけどね」
 
■通算勝率は下から2番目だが決して「凡庸なHC」ではない

 異国の地でのリーグ優勝を花道に現役を引退したスコットは、すぐにキングスのアシスタントコーチとなり、指導者としてのキャリアをスタートさせた。レイカーズ時代、パット・ライリーHCに「君にはコーチになれる資質がある」と言われ、「まさか。僕はコーチになんてなりませんよ」と笑っていたスコットだが、ペイサーズでもブラウンに同じことを言われ、考えが変わる。

 リック・アデルマンHCの下、キングスで2年間修業を積んだのち、2000年にネッツのHCに就任。当時のネッツは勝率3割台のドアマットチームで、冒頭に記したように就任1年目は結果を出せなかったが、翌01-02シーズンにキッドをトレードで獲得してから劇的に成績が向上。02、03年と2年連続でファイナルへ勝ち上がり、それぞれレイカーズとサンアントニオ・スパーズの厚い壁に跳ね返されはしたものの、球団史上最高の戦績を収めたのである。

 03-04シーズン途中にネッツのHCを解任されたが、翌年にはホーネッツ(現ペリカンズ)のHCとして現場に復帰する。ここでは05-06シーズンに加入したクリス・ポールの活躍もあり、08、09年に2年連続でチームをプレーオフに導き、08年には最優秀コーチ賞にも輝いている。ネッツ時代はキッドとの確執も囁かれたが、ポールとは良好な関係を築くことに成功。「クリスは息子みたいな存在」とスコットが言えば、「コーチのことは家族の一員のように思っている」とポールが返すなど、まさしく相思相愛であった。
 

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