専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

「コンゴでムトンボを知らない人はいない」コート外でも偉大な足跡を残した人道主義者【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2021.02.17

■選手としての実績以上にコート外で残した偉大な足跡

 選手としても偉大な足跡を残したムトンボだったが、彼の真価が発揮されたのは、コート外での活動の方だった。

 アメリカで功成り名を遂げても、彼の心は常に故国とともにあった。

「アメリカでは、みな自分自身のために成功を追い求める。でもアフリカの考え方では、成功は家族のためのものなんだ。自分がここまで成長するのに、多くの人が手を貸してくれた。今度は私が彼らの手助けをする番だ」

 その言葉通り、彼は稼いだ金を惜しげもなく祖国のために注ぎ込んだ。コンゴ民主共和国は96年から深刻な内戦状態に陥り、100万人以上の国民が戦闘や飢餓、伝染病によって亡くなった。ムトンボ自身、帰国した際にマラリアに罹り、死の危機に瀕したことがあったほどだ。

 そんな母国が最も必要としていたのは、設備の整った病院だった。ムトンボは1500万ドル(約17.5億円)もの私財を投じると同時に、財団を設立して基金を募り、06年に亡き母の名を冠した病院を完成させた。
 
 こうした功績が認められ、01、09年の2回ウォルター・ケネディ・シチズンシップ賞を受賞。『スポーティング・ニューズ』選出のグッド・ガイ賞にも99、00年の2年連続で選ばれた。ほかにも数多くの慈善団体や医療機関から表彰され、同郷のDJ・ベンガが「コンゴではバスケットボールを知らなくても、ムトンボを知らない人はいない」と語るほどの尊敬を得ている。

 06年にアメリカの市民権を取得。翌07年は下院議会に招かれ、ジョージ・W・ブッシュ大統領の一般教書演説で「このコンゴの息子が、アメリカ市民の一員であることを誇りに思う」と称賛された。「喜びでいっぱいだ。大統領からこんな言葉をもらえるとは思ってもみなかった」とムトンボは感激したが、彼の献身的な活動はその栄誉に十分値する。

 仮にNBA選手としてのムトンボが忘れられたとしても、人道主義者としての彼らは、その名前やキャリア以上に長く記憶されることだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2011年6月号掲載原稿に加筆・修正。

【PHOTO】NBA最強の選手は誰だ?識者8人が選んだ21世紀の「ベストプレーヤートップ10」を厳選ショットで紹介!
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号