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NBA

キッド&マーティン――ネッツに黄金期をもたらした「天才司令塔」と「荒ぶる原石」の出会い【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.13

 キッドのパスセンスはNBAでも即戦力として通用した。“J(ジャンプショット)がないからエイソン(Ason)だ”と皮肉られるほどシュートは下手だったが、“渋滞をすり抜けていくバイク”のようにスピードを生かして速攻の起点となった。

 ポイントガードにしては身長も高く、リバウンドやディフェンスでも大きく貢献。平均11.7点、7.7アシスト、5.4リバウンドの成績以上に、マブズが36勝と前年よりも23勝も多い勝利数を記録したことが決め手となって、グラント・ヒルとともに新人王に選ばれた。ファーストネームのイニシャルを取って“3Js”と呼ばれたキッド、ジャクソン、マッシュバーンの3人を軸に、マブズの再建計画は順調に進んでいるかに見えた。

 2年目にキッドは平均9.7アシスト(リーグ2位)、2.16スティール(同4位)と成績を伸ばし、球団史上初めてオールスターの先発出場も果たしたが、その裏では“3Js”の崩壊が進行していた。まずジャクソンとマッシュバーンが仲違いし、次いでキッドとジャクソンの確執に発展した。R&B歌手のトニ・ブラクストンをめぐる私情の対立が原因と言われていたが、真の理由はチームの主導権を巡るいさかいだった。
 
「僕らは、初めは上手くいっていたんだよ。でも、いつからかお互いに口も利かないような間柄になってしまったのさ」(キッド)

 混乱状態に決着をつけるため、マブズは96-97シーズンの途中、サム・キャセール、マイケル・フィンリーらとの交換で、キッドをフェニックス・サンズへトレードしてしまった。

■荒ぶるタレントの原石、ケニョン・マーティン

 キッドの放出にマブズファンはみな落胆した。マーティンもその1人だった。ミシガン州で生まれたマーティンは、幼い頃にダラスへ移り住み、キッドがマブズに入団した頃は市内の高校に通っていたのだ。

 スモールフォワード並みの身長しかなかったマーティンだが、飛び抜けたジャンプ力と闘争心溢れるプレーによって、シンシナティ大ではトップセンターの地位を確立。そのパワフルなダンクは、スーパーマーケット・チェーン名に由来する“Kマート”というとぼけたニックネームからは想像できないほど迫力があった。
 
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