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NBA

キッド&マーティン――ネッツに黄金期をもたらした「天才司令塔」と「荒ぶる原石」の出会い【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.13

 4年生の時には、ウッデン賞やネイスミス賞などの個人賞を軒並み受賞。NCAAトーナメント1回戦で足を骨折して優勝はできなかったが、マーティンの能力に対する高い評価に変わりはなく、00年のドラフト全体1位でネッツが指名した。

 1年目は大学時代の古傷を傷めたこともあって68試合の出場にとどまり、平均12.0点、7.4リバウンドをあげたものの新人王は受賞できなかった。チーム成績も良くなかったが、これはマーティンのせいばかりとも言えなかった。ネッツのポイントガード、ステフォン・マーブリーは自らが得点を狙いにいくタイプで、マーティンやその他のチームメイトを生かしきれていなかったからだ。

 一方、キッドは移籍先のサンズでも活躍を続けていた。マブズ入団時と同様、移籍1年目にどん底状態だったサンズをよみがえらせ、98-99シーズンは平均10.8アシストで初タイトルを手にし、オールNBA1stチームに選出された。00年にはシドニー五輪で共同キャプテンを任されるなど、一選手としては申し分のないキャリアを積んでいた。
 
 だがサンズは、毎年プレーオフに出場しながらも1回戦敗退を繰り返した。その結果以上に彼の評価を落としたのは、01年1月に妻から家庭内暴力で訴えられたことだった。結局すぐに和解したが、この事件でオーナーの不興を買ったキッドはシーズン終了直後、マーブリーとの交換でネッツへ放出された。

「今シーズン、ネッツは50勝するよ」。トレード決定後、キッドは自信をもって記者団に語ったが、そんな公約を真に受ける者は皆無だった。『スポーティングニューズ』誌のプレビューでは、5人のライター全員がネッツをアトランティック・ディビジョンで5位以下(7チーム中)に予想していた。

 だが、キッドは何の当てもなくそんな発言をしたわけではなかった。トレーニングキャンプの段階で、彼はマーティンが最高のパートナーとなりうる素材だと見抜いていた。機動力のあるマーティンは、キッドの得意とするテンポの速い攻撃にはうってつけの選手だったのだ。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年11月号掲載原稿に加筆・修正。

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