2016年には、1950年代の名選手ドルフ・シェイズの背番号が遅ればせながら欠番とされた。フィラデルフィア・セブンティシクサーズの前身であるシラキューズ・ナショナルズの大スターで、オールスターには12回出場。通算出場試合数996は、長い間リーグ記録だった。
永久欠番になった8選手のうち、最も実績に乏しいのはウェンデル・ラドナー。ABA時代のニューヨーク(現ブルックリン)・ネッツで1年しかプレーしなかったが、1976年に飛行機事故で亡くなったことで欠番とされた。
そのほかの職人タイプの4番を挙げると、まずはバイロン・スコット。1980年代に5度リーグを制したロサンゼルス・レイカーズで、マジック・ジョンソンとバックコートコンビを組んだ名シューターは、選手生活の晩年に在籍したインディアナ・ペイサーズとバンクーバー(現メンフィス)・グリズリーズでも4番を通した。
レイカーズではルーク・ウォルトンも長く4番でプレー。スコットとウォルトンは、ともに引退後レイカーズのヘッドコーチになったが、評価が今ひとつだったという共通点もある。
ジムとジョンのパクソン兄弟は2人とも4番を着けた経験があり、兄ジムは一度も番号を変えず、弟ジョンはブルズ時代は5番だったが、デビュー当時にサンアントニオ・スパーズで4番を背負った。
ブルズ関連では、ロン・ハーパーがクリーブランド・キャバリアーズやロサンゼルス・クリッパーズ時代に着用。ブルズでは欠番だったため9番に変更し、主に守備面で1996年からの3連覇に貢献した。
そのハーパーの控えを務めたスティーブ・カーも、スパーズなど3球団で4番。フェニックス・サンズ時代に背番号4で、2度フリースロー成功率1位になったカイル・メイシーは、1986年にブルズに移籍して24番に。オーランド・マジック在籍時に4番で1試合30アシストのNBA記録を打ち立てたスコット・スカイルズは、ヘッドコーチとして5年間ブルズを指揮した。
現役のポール・ミルサップ(デンバー・ナゲッツ)とJJ・レディック(ニューオリンズ・ペリカンズ)も、自らの役割を堅実こなす選手という点で職人タイプに分類していいだろう。ダニー・グリーンもまさにこのタイプの選手。現在はシクサーズで14番だが、スパーズ時代に背番号4だった。
永久欠番になった8選手のうち、最も実績に乏しいのはウェンデル・ラドナー。ABA時代のニューヨーク(現ブルックリン)・ネッツで1年しかプレーしなかったが、1976年に飛行機事故で亡くなったことで欠番とされた。
そのほかの職人タイプの4番を挙げると、まずはバイロン・スコット。1980年代に5度リーグを制したロサンゼルス・レイカーズで、マジック・ジョンソンとバックコートコンビを組んだ名シューターは、選手生活の晩年に在籍したインディアナ・ペイサーズとバンクーバー(現メンフィス)・グリズリーズでも4番を通した。
レイカーズではルーク・ウォルトンも長く4番でプレー。スコットとウォルトンは、ともに引退後レイカーズのヘッドコーチになったが、評価が今ひとつだったという共通点もある。
ジムとジョンのパクソン兄弟は2人とも4番を着けた経験があり、兄ジムは一度も番号を変えず、弟ジョンはブルズ時代は5番だったが、デビュー当時にサンアントニオ・スパーズで4番を背負った。
ブルズ関連では、ロン・ハーパーがクリーブランド・キャバリアーズやロサンゼルス・クリッパーズ時代に着用。ブルズでは欠番だったため9番に変更し、主に守備面で1996年からの3連覇に貢献した。
そのハーパーの控えを務めたスティーブ・カーも、スパーズなど3球団で4番。フェニックス・サンズ時代に背番号4で、2度フリースロー成功率1位になったカイル・メイシーは、1986年にブルズに移籍して24番に。オーランド・マジック在籍時に4番で1試合30アシストのNBA記録を打ち立てたスコット・スカイルズは、ヘッドコーチとして5年間ブルズを指揮した。
現役のポール・ミルサップ(デンバー・ナゲッツ)とJJ・レディック(ニューオリンズ・ペリカンズ)も、自らの役割を堅実こなす選手という点で職人タイプに分類していいだろう。ダニー・グリーンもまさにこのタイプの選手。現在はシクサーズで14番だが、スパーズ時代に背番号4だった。