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NBA

大事件、躍進、別離……ピアースとウォーカーが紆余曲折を重ねて築いた確かな絆【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.17

 しかしセルティックスは、ピアース&ウォーカーの“ツーメン・チーム”から脱却できなかった。2002-03シーズンも44勝でプレーオフに進出したが、カンファレンス準決勝でネッツにスウィープ負け。同年オフ、ウォーカーはその年就任したばかりのダニー・エインジ・ゼネラルマネージャーによって、ダラス・マーベリックスにトレードされてしまう。共同キャプテンまで務めていたピアース&ウォーカーのコンビは、いともあっさりと解体されてしまった。

 エインジは元々ウォーカーのプレースタイルを気に入っていなかった。パワーフォワードにもかかわらずペリメーターでのプレーに固執し、やたらと3ポイントシュートを連発する傾向は以前からあったが、近年はそれが目に余るようになっていたからだ。成功率が高ければそれでもいいのだが、2002-03シーズンの3ポイント成功率は32.3%、フリースローも61.5%とムラが目立っていた。

 ボストンのファンも大部分はこのトレードを支持したが、言うまでもなくピアースは不満だった。ウォーカーが仲の良い友人というだけでなく、チームのフロントマンの役目が自分の肩にのしかかってきたことが重荷だったからだ。以前よりも感情的になり、鬱憤をレフェリーにぶつけるような場面も多くなっていった。
 
■ウォーカー復帰でコンビを再結成した2人だったが…

 2004-05シーズン、ピアースのフラストレーションは最高潮に達する。この年からヘッドコーチになったドック・リバースと反りが合わず、それを隠そうともしなかった。チーム成績も芳しくなく、55試合を消化した時点で27勝28敗の負け越し。ピアース放出の噂は、日に日にその信憑性を増していった。

 そしてトレード期日当日、エインジはトレードを断行する。だが、それはピアースを放出するのではなく、マーベリックスからアトランタ・ホークスに移っていたウォーカーを呼び戻すものだった。「ウォーカーのプレーに対する評価は変わらない。だが私は、彼がチームにもたらしていたもの――プレーの熱さを見落としていた」。エインジはトレードの理由をこのように語った。
 
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