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NBA

後見人は“神様”ジョーダン。それゆえの苦悩と戦いながら欧州で“宝石”となったコリー・ヒギンズ物語<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.06.07

 ヒギンズの父ロッドは、NBAで通算779試合に出場した元プロ選手だ。1982年のドラフトでブルズに入団し、1985年までプレー。最後の1年間はルーキーのジョーダンと共闘し、友情関係を育んだ。1989年生まれのコリーはその時まだ誕生していないが、子どもの頃はよくジョーダンと一緒に過ごし、ジョーダンがワシントン・ウィザーズでプレーしていた時代は、ボールボーイをしていたという。

 NBA界のスーパーレジェンドの身近で育った経験について聞かれたコリーは「『彼がどれほど素晴らしい選手か』という印象は、おそらくほかの誰もと同じだろう。けれど、たぶん一番の違いは、彼の凄さを小さい頃から間近で見ていたおかげで何があっても驚かなくなった、ということかと思う」と、以前インタビューで話している。

 物心ついた頃には、自分がバスケットボールで生きていくことに疑いをもっていなかった、というコリーに、父ロッドはあらゆることを教え、またコリー自身も「今のような選手になれたのは父のおかげ。バスケットボールについてのアドバイスを受けるのは父からだけ」と絶対の信頼を置いている。
 
 プレーを始めて最初に覚えたのがシューティングで「15歳の頃には父に勝てるようになっていた」というコリーは、コロラド大ではBリーグでも活躍したリチャード・ロビーに並ぶ、オールタイム・ベストスコアラーにもなった。

 しかし2011年のドラフトで指名漏れすると、オーランド・マジック傘下のDリーグ(現Gリーグ)チーム、エリー・ベイホークス(現レイクランド・マジック)に入団。翌年、シャーロット・ボブキャッツ(現シャーロット・ホーネッツ)入りのチャンスを得たが、ボブキャッツのオーナーはゴッドファーザーのジョーダン、そして父もフロントの一員だったことで“縁故採用”という声も聞かれた。

「その質問はしょっちゅうだ」とすでに笑って流せるようになっているコリーは、ロシア時代のインタビューで「父さんは、(個人的なことではなく)クラブ全体の利益のために働いている。自分は、カレッジ時代からの知り合いだったコーチのポール・サイラスから声をかけられた」と話している。
 
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