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NBA

後見人は“神様”ジョーダン。それゆえの苦悩と戦いながら欧州で“宝石”となったコリー・ヒギンズ物語<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.06.07

 ボブキャッツでは、翌2012-13シーズンの12月に解雇されるまで、44試合に出場。平均約10分のプレータイムで3.7点、2012年4月7日のアトランタ・ホークス戦でマークした22得点が、NBAでの自己最多だった。

 その後、Dリーグのベイホークスに戻ったが、翌2013-14シーズンにアメリカを離れる決意をした彼は、 ロシアのゼニト・サンクトペテルブルクの前身、トライアンフに入団。シャーロットでチームメイトだったデリック・ブラウンが前年からロコモティフ・クバンに在籍しており、彼から聞くロシアリーグの印象がポジティブなことばかりだったことも、後押しになった。

 入団した当初から、ヘッドコーチに「このチームのオフェンスは君にかかっている」と期待をかけられると、プレシーズン不参加で開幕を迎えたにもかかわらず、11月にはリーグ記録に並ぶ16本のフィールドゴールを成功させるなど、リーグの月間MVPに選出される活躍を披露。元ロサンゼルス・レイカーズのアンドリュー・ゴーデロックと得点王の座を争い、ヒギンズが344 得点(平均21.5点)で年間最多をマークした。

 その当時、ロシアメディアに「NBAから都落ちした気持ちではないか?」と聞かれたヒギンズは、こう答えている。
 
「Dリーグの給料で生活するのは正直厳しい。だから生活レベルは格上げだ(笑)。それにここでプレーしているバスケットの方が、Dリーグよりも格段に好きだな。Dリーグではみんな、自分をいかに目立たせるかを考えてプレーしているからね。でも、ヨーローパではまったく違う」

 トルコでの1シーズンを経て、2015-16シーズンに再びロシアに戻ったヒギンズは、欧州きっての強豪CSKAモスクワに加入。新天地での4年間は平均2桁得点と安定したパフォーマンスを供給し、チームが国内リーグ4連覇、ユーロリーグ2冠(2016、19年)という華々しい成績を残す原動力となった。

 今や欧州バスケットボール界の“jewel”(宝石)と呼ばれる存在となった彼は、2019-20シーズンにユーロリーグ王座復帰を目指して積極補強に乗り出したバルセロナに引き抜かれ、チームの主軸として奮闘。宿敵レアル・マドリーを破って優勝した今季のスペイン国王杯でも、ゲームハイの得点をあげて大会MVPに選出されるなど、期待以上の結果を出してみせた。
 
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