【シューティングガード】
ステフォン・マーブリー
1977年2月20日生。188センチ・82キロ
カレッジ成績:36試合、平均18.9点、3.1リバウンド、4.5アシスト
NBA成績:846試合、平均19.3点、3.0リバウンド、7.6アシスト
キャリア平均のアシスト数はプライスより多いが、選手としてのタイプは明らかにスコアラー寄り。平均19.3点もクリス・ボッシュを0.1点上回り、ジョージア工科大出身者で1位とあってSGで選出した。
ニューヨークのプレーグラウンドでテクニックを磨き、大学でもカンファレンスの新人王に輝くと、1年在学しただけで96年のドラフトにエントリー。ミルウォーキー・バックスに4位指名され、レイ・アレンとの交換トレードでミネソタ・ティンバーウルブズに加わった。
すぐにスター選手の仲間入りを果たすも、ケビン・ガーネットの陰に隠れるのを良しとせず、3年目の途中にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへ移籍。以後7年連続平均20点以上と自慢の得点力を発揮した。しかしながらチームプレーが不得手でどの球団でも長続きせず、NBAでプレーしたのは31歳が最後。その後は中国のCBAでスーパースターとして活躍し、絶大な人気を得て永住権まで取得した。
【スモールフォワード】
デニス・スコット
1968年9月5日生。203センチ・103キロ
カレッジ成績:99試合、平均21.4点、5.3リバウンド、2.9アシスト
NBA成績:629試合、平均12.9点、2.8リバウンド、2.1アシスト
ジョージア工科大が初めてNCAAトーナメントのファイナル4に進出した90年、エースとして年間平均27.7点、今も学校記録として残る年間970点を荒稼ぎ。そのシュート力はNBAでも十分に通用した。90年にドラフト4位でオーランド・マジックに入団し、平均15.7点でオール・ルーキー1stチーム入り。
コーナーからの3ポイントを得意とし、95-96シーズンには267本を命中させる。前年から3ポイントラインが短くなっていたこともあったが、それまでの記録を50本も更新する破格の数字で、10年後にレイ・アレンが塗り替えるまで1位の座にあった。同年4月18日の1試合11本成功も、03年にコビー・ブライアントに破られるまでの最多記録だった。
マジックではシャキール・オニール、アンファニー“ペニー”ハーダウェイに次ぐ第3の得点源として活躍を続けていたが、守備は「死体すらガードできない」と評されたレベル。97年にマジックからダラス・マーベリックスへトレードされて以降は急速に成績が下降した。
ステフォン・マーブリー
1977年2月20日生。188センチ・82キロ
カレッジ成績:36試合、平均18.9点、3.1リバウンド、4.5アシスト
NBA成績:846試合、平均19.3点、3.0リバウンド、7.6アシスト
キャリア平均のアシスト数はプライスより多いが、選手としてのタイプは明らかにスコアラー寄り。平均19.3点もクリス・ボッシュを0.1点上回り、ジョージア工科大出身者で1位とあってSGで選出した。
ニューヨークのプレーグラウンドでテクニックを磨き、大学でもカンファレンスの新人王に輝くと、1年在学しただけで96年のドラフトにエントリー。ミルウォーキー・バックスに4位指名され、レイ・アレンとの交換トレードでミネソタ・ティンバーウルブズに加わった。
すぐにスター選手の仲間入りを果たすも、ケビン・ガーネットの陰に隠れるのを良しとせず、3年目の途中にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへ移籍。以後7年連続平均20点以上と自慢の得点力を発揮した。しかしながらチームプレーが不得手でどの球団でも長続きせず、NBAでプレーしたのは31歳が最後。その後は中国のCBAでスーパースターとして活躍し、絶大な人気を得て永住権まで取得した。
【スモールフォワード】
デニス・スコット
1968年9月5日生。203センチ・103キロ
カレッジ成績:99試合、平均21.4点、5.3リバウンド、2.9アシスト
NBA成績:629試合、平均12.9点、2.8リバウンド、2.1アシスト
ジョージア工科大が初めてNCAAトーナメントのファイナル4に進出した90年、エースとして年間平均27.7点、今も学校記録として残る年間970点を荒稼ぎ。そのシュート力はNBAでも十分に通用した。90年にドラフト4位でオーランド・マジックに入団し、平均15.7点でオール・ルーキー1stチーム入り。
コーナーからの3ポイントを得意とし、95-96シーズンには267本を命中させる。前年から3ポイントラインが短くなっていたこともあったが、それまでの記録を50本も更新する破格の数字で、10年後にレイ・アレンが塗り替えるまで1位の座にあった。同年4月18日の1試合11本成功も、03年にコビー・ブライアントに破られるまでの最多記録だった。
マジックではシャキール・オニール、アンファニー“ペニー”ハーダウェイに次ぐ第3の得点源として活躍を続けていたが、守備は「死体すらガードできない」と評されたレベル。97年にマジックからダラス・マーベリックスへトレードされて以降は急速に成績が下降した。
関連記事
- イグダーラ、カー、ジェファーソン……名脇役の“製造工場”アリゾナ大のベストメンバーを選定!<DUNKSHOOT>
- 最強スコアラーのデュラント、オールスターの常連オルドリッジの母校テキサス大のベストメンバーを選定!<DUNKSHOOT>
- 点取り屋のウォーカー、名シューターのアレン、リバウンド王ドラモンドらを輩出したコネティカット大の最強メンバーは?<DUNKSHOOT>
- “ファブ・ファイブ”のウェバー、初優勝メンバーのライス、名ドリブラーのクロフォード… ミシガン大の最強メンバーを選定!<DUNKSHOOT>
- ウィザーズの「歴代ベスト5」ガードはビール&ウォール、フロントコートは全員殿堂入りのレジェンド!<DUNKSHOOT>