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NBA

“初代ドリームチームの衝撃”から4年。シャックら豪華メンバーが「テロの恐怖」とも戦ったアトランタ【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.06.28

 さらにグラント・ヒル(当時デトロイト・ピストンズ)、アンファニー・ハーダウェイ(当時マジック)ら新鋭スターたちが加わったドリームチーム3は、ネームバリューは別として、実力的には初代にも決して見劣りしないタレント集団になった。前回はピストンズのチャック・デイリーが務めたヘッドコーチ(HC)には、当時のNBA最多勝記録保持者だったレニー・ウィルケンズ(当時アトランタ・ホークス)が選ばれた。

 バルセロナで圧倒的な実力を見せつけたアメリカに勝てそうな国は、アトランタでも見当たらなかった。過去に2度金メダルに輝いていたソビエト連邦は1991年に崩壊し、その構成国としてソ連代表に選手を多数送り出していたリトアニアなどが離脱。1992年はロシアを中心とした独立国家共同体(CIS)が4位に食い込み、1994年の世界選手権でもロシアは銀メダルに輝いたが、同五輪の出場権は逃していた。

 リトアニアやクロアチア、ユーゴスラビアなど、東欧の強豪国にはNBAで活躍する選手もいた。だが、どこも対抗馬として推すには決め手に欠けており、アメリカの優勝を疑う声はほとんど聞かれなかった。
 
■圧倒的強さで勝ち進むも、コート外で思わぬ大事件が発生

 開会式ではアメリカ選手団のトリとして入場するなど、注目度抜群だったドリームチーム3は、7月20日の開幕戦でアルゼンチンに28点差をつけ快勝。続くアンゴラ戦も33点差、強敵リトアニアも22点差で下し、五輪のバスケットボール史上最多の観衆3万4417人が来場した中国戦は133-70と、予想通りの快進撃を続けていた。

 ところが、中国戦の終了後に思わぬ事件が発生する。彼らが宿泊していたホテル(選手村は利用していなかった)の目の前にあるオリンピック記念公園において、何者かが仕掛けた爆弾によって2名の命が奪われたのだ。

「ホテルが大きく揺れて、何が起こったかと思った。本当に恐ろしかったよ」(ミッチ・リッチモンド/当時サクラメント・キングス)。
 
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