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NBA

もうひとつの“ドリームチーム”ローマ五輪アメリカ代表。1992年組に並び“最強”と称される男たち【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.12

 12人の内訳は7人が大学生で、ブーザーを含む4人は大学卒業後に実業団チームでプレー、残るエイドリアン・スミス(元ロイヤルズほか)は陸軍に在籍。ブーザーとアレン・ケリーがピオリア・キャタピラーズ(キャタピラー社所有のチーム)に所属していた以外、みな異なるチームから選抜されていて、代表メンバーがこのような構成になったのは初めてだった。

 それまでは即席チームで息が合わないことがないように、特定の大学や実業団から4~5人を選出していた。大学生が7人抜擢されたのも1948、52年に並び過去最多。しかも補欠にはジョン・ハブリチェック(オハイオ州大→元セルティックス)やレニー・ウィルケンズ(プロビデンス大→元アトランタ・ホークスほか)らが控えており、さらなる豪華戦力となっていた可能性もあったのだ。

 アメリカ選手団の団長には、初めて黒人であるレイファー・ジョンソン(陸上)が選出。カシアス・クレイ(のちのモハメド・アリ/ボクシング)も代表の一員に名を連ねていた。

 選手たちは種目別に飛行機をチャーターしてヨーロッパへ旅立ったが、ロバートソンの回想によると、バスケットボール代表は小さなプロペラ機に全員押し込められ、窮屈な思いをしたらしい。彼はこんな疑問も持っていた。「どうして各種目の選手たちを少しずつ別の便に分けないで、みんな一緒に飛ばしたのだろう。事故に遭ったらどうするつもりだったのかな」と。
 
 そんな心配も杞憂に終わり、全員が無事に開催地ローマに到着。大会自体は8月25日に開幕し、翌26日からバスケットボール競技がスタートした。

 初日にホスト国イタリアと激突したアメリカは、88-54と34点差をつけて快勝を収めると、翌日の試合では日本を相手に125-66と圧倒。早々に予選ラウンド勝ち抜けを決めた。

 4年後の自国開催に向けて意気の上がっていた日本だったが、イタリアには8点差、スペインにも2点差での惜敗と善戦したものの、結果的には0勝7敗。ブルガリアが大会途中で棄権したため最下位は免れたが、参加16か国中15位に終わった。
 
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