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NBA

【NBA秘話】リーグに隆盛をもたらしたデイビッド・スターン――“最後の晴れ舞台”で起きたサプライズ<DUNKSHOOT>

大井成義

2021.07.16

・1980年代のアメリカでは、まだ白人が黒人主体のスポーツを観ることに抵抗を感じており、平均の観客数は1万人をかろうじて超える程度だった。

・1980年の『ロサンゼルス・タイムズ』のレポートによると、NBA選手の40%~75%がコカインを常用していた。

・1980-81シーズン、全23チームのうち16チームが赤字経営だった。

・1979~81年のNBAファイナルは17試合中7試合が深夜11時30分(東部時間)からの録画放送だった。(『INSIDE HOOPS』によると、CBSが当時払った放映権料は4年で7400万ドル(1年1850万ドル)。

・スターンがコミッショナーを退いた1か月後に、ESPNおよびTNTと新たに結んだ放映権の契約額は、9年240億ドル。スターンは次の契約についても検討を進めていた。

・チャールズ・バークレーが自身の出演するテレビ番組『Inside the NBA』で次のように語った。「俺がNBAに入った当時、選手の平均年俸は20万ドルだった。それが今じゃ、770万ドル。そうなった大きな要因は、彼(スターン)にある」。

・マイケル・ジョーダン1年目の1985年に、ジェリー・ラインズドーフがブルズを買収した時の価格は1600万ドル。2014年、スターンが退いた直後にスティーブ・バルマーがクリッパーズを買い取った際の価格は20億ドル(1985年のブルズの約125倍)。
 
 いかがだろうか。時代の変化や物価の上昇を考慮しても、この変貌ぶりは驚き以外の何物でもない。すべてがスターンの手腕によるものではないにしろ、もし彼ではなく他の人物がコミッショナーの座に就いていたら、きっと今とは相当違ったNBAが存在していたはずだ。

 NBAにとって、まさしく救世主のような存在であるスターン。その彼が、毎年開催されるNBAドラフトやファイナルのトロフィープレゼンテーションにおいて、観客から鬼のようなブーイングを受けていたことをご存知だろうか。それらはいつしか風物詩と化し、さらには様式美さえ漂うようになり、見ていて微笑ましくさえあった。

 スターンが最後に登壇した2013年のドラフトは、“スターン・ブー・フェスタ”のグランドフィナーレとして、これまでで最も激しいブーイングが乱れ飛んだ。そして最後の最後に、誰も予想していなかった意外な出来事が起こったのである。
 
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