【シューティングガード】
デイブ・ビング
1943年11月24日生。191センチ・82キロ
カレッジ成績:76試合、平均24.8点、10.3リバウンド、6.6アシスト
NBA成績:901試合、平均20.3点、3.8リバウンド、6.0アシスト
現時点でただ1人、シラキュース大出身者で殿堂入りしたNBA選手。本職はポイントガードだが高い得点能力が持ち味で、人選の関係もあって今回はシューティングガードに回した。
大学ではのちにシラキュース大の名ヘッドコーチとなるジム・ビーハイムとガードコンビを組み、1966年ドラフト2位でデトロイト・ピストンズに入団、平均20.0点をあげ新人王に。ドライブやジャンプショット、さらにフリースローをもらうのも得意で、翌年は平均27.1点(2位)、総得点2142で得点王に輝いた(当時は総得点でタイトルが決定)。
通算得点こそカーメロ・アンソニーに抜かれたが、5397アシストは今もシラキュース大OBで1位。アクの強い選手が多い同大出身者にあって、人格面でも尊敬を集め、同時代のライバルだったオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)は「プロフェッショナリズム、品格、威厳、人間性の完璧な見本だった」と述べている。引退後は鉄鋼会社を創業し大成功を収めただけでなく、2009年からはデトロイト市長も務めるなど、真に多才な人物だった。
【スモールフォワード】
カーメロ・アンソニー
1984年5月29日生。201センチ・108キロ
カレッジ成績:35試合、平均22.2点、10.0リバウンド、2.2アシスト
NBA成績:1191試合、平均23.0点、6.3リバウンド、2.8アシスト
シラキュース大出身者のなかで、出場試合や得点、リバウンド、スティールなどでトップに君臨。大学時代からスター街道を歩み、2003年にはNCAAトーナメント初優勝の立役者としてトーナメントMVPに輝いた。
同年のドラフト3位でデンバー・ナゲッツに入団、ドラ1のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)とはライバルにして親友同士ともなった。もっとも、1年目に平均21.0点をあげながら新人王に選ばれなかったのもレブロンのせい。以後14年連続で平均20点以上、ニューヨーク・ニックス移籍後の2013年には28.7点でタイトルを獲得するなど、リーグきってのスコアラーとして活躍。オリンピックにも3度出場し、先の東京五輪でケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)に抜かれるまで、五輪の通算得点記録の保持者でもあった。
ただ、効率的に得点を取れるかと言えばそうでもなく、また守備面での貢献度が低かったこともあって、ファイナルはおろかカンファレンス決勝進出も一度だけ。「チームを勝たせられる選手ではない」との風評を払拭するには至っていない。
デイブ・ビング
1943年11月24日生。191センチ・82キロ
カレッジ成績:76試合、平均24.8点、10.3リバウンド、6.6アシスト
NBA成績:901試合、平均20.3点、3.8リバウンド、6.0アシスト
現時点でただ1人、シラキュース大出身者で殿堂入りしたNBA選手。本職はポイントガードだが高い得点能力が持ち味で、人選の関係もあって今回はシューティングガードに回した。
大学ではのちにシラキュース大の名ヘッドコーチとなるジム・ビーハイムとガードコンビを組み、1966年ドラフト2位でデトロイト・ピストンズに入団、平均20.0点をあげ新人王に。ドライブやジャンプショット、さらにフリースローをもらうのも得意で、翌年は平均27.1点(2位)、総得点2142で得点王に輝いた(当時は総得点でタイトルが決定)。
通算得点こそカーメロ・アンソニーに抜かれたが、5397アシストは今もシラキュース大OBで1位。アクの強い選手が多い同大出身者にあって、人格面でも尊敬を集め、同時代のライバルだったオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)は「プロフェッショナリズム、品格、威厳、人間性の完璧な見本だった」と述べている。引退後は鉄鋼会社を創業し大成功を収めただけでなく、2009年からはデトロイト市長も務めるなど、真に多才な人物だった。
【スモールフォワード】
カーメロ・アンソニー
1984年5月29日生。201センチ・108キロ
カレッジ成績:35試合、平均22.2点、10.0リバウンド、2.2アシスト
NBA成績:1191試合、平均23.0点、6.3リバウンド、2.8アシスト
シラキュース大出身者のなかで、出場試合や得点、リバウンド、スティールなどでトップに君臨。大学時代からスター街道を歩み、2003年にはNCAAトーナメント初優勝の立役者としてトーナメントMVPに輝いた。
同年のドラフト3位でデンバー・ナゲッツに入団、ドラ1のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)とはライバルにして親友同士ともなった。もっとも、1年目に平均21.0点をあげながら新人王に選ばれなかったのもレブロンのせい。以後14年連続で平均20点以上、ニューヨーク・ニックス移籍後の2013年には28.7点でタイトルを獲得するなど、リーグきってのスコアラーとして活躍。オリンピックにも3度出場し、先の東京五輪でケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)に抜かれるまで、五輪の通算得点記録の保持者でもあった。
ただ、効率的に得点を取れるかと言えばそうでもなく、また守備面での貢献度が低かったこともあって、ファイナルはおろかカンファレンス決勝進出も一度だけ。「チームを勝たせられる選手ではない」との風評を払拭するには至っていない。