【パワーフォワード】
デリック・コールマン
1967年6月21日生。208センチ・122キロ
カレッジ成績:143試合、平均15.0点、10.7リバウンド、2.3アシスト
NBA成績:781試合、平均16.5点、9.3リバウンド、2.5アシスト
歴代のシラキュース大バスケットボール選手のなかで、持って生まれた才能に関してはNo.1だろう。身長208cm、122kgの恵まれた体格で動きも敏捷、パスやシュートも自由自在。少年時代から交流のあったビングの推薦で入学すると、4年間毎年オールカンファレンスチーム入りを果たし、大学記録の通算1537リバウンドを奪取した。
1990年に同大史上唯一のドラフト1位指名でネッツに入団し、平均18.4点、10.3リバウンドをマークして新人王を受賞。”カール・マローン(元ユタ・ジャズほか)二世”と呼ばれ、1994年はオールスターに選出、世界選手権の“ドリームチームⅡ”のメンバーでもあった。
しかしながら熱意の伝わってこないプレー態度や、ちょっとしたケガでもすぐに休みたがるサボり癖などが抜けず。結局ネッツでも、その後移籍したピストンズやフィラデルフィア・セブンティシクサーズでも、ポテンシャルを完全に発揮することのないまま終わってしまった。
【センター】
ロニー・サイカリー
1965年5月10日生。211センチ・115キロ
カレッジ成績:136試合、平均12.6点、8.0リバウンド、0.6アシスト
NBA成績:678試合、平均14.7点、9.5リバウンド、1.3アシスト
レバノン出身のNBA選手は、ともに1965年生まれのスティーブ・カー(元シカゴ・ブルズほか)とサイカリーの2人だけ。カーがベイルート駐在の米国外交官の息子だったのに対し、サイカリーはアメリカ人ではあってもレバノン系で、生まれも育ちもベイルート。移住したギリシャでバスケットボールの才能を花開かせ、アメリカに渡ってシラキュース大に入学すると、3年連続でオールカンファレンスチームに選出された。
1988年のドラフト9位で新球団のヒートに入団。2年目の1989-90シーズンに平均16.6点、10.4リバウンド(リーグ6位)でMIPを受賞すると、以後5シーズン続けて平均15点/10リバウンドと安定した働きを見せ、1993年にはヒートの球団記録となる1試合34リバウンドもマークするなど、10年間にわたりリーグの先発センターとしてプレーした。
見た目よりずっと器用で、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)ばりのスピンムーブも披露し“スピン・ドクター”というニックネームも定着。大の音楽好きで、引退後はクラブミュージックのDJ&プロデューサーに転身した。
デリック・コールマン
1967年6月21日生。208センチ・122キロ
カレッジ成績:143試合、平均15.0点、10.7リバウンド、2.3アシスト
NBA成績:781試合、平均16.5点、9.3リバウンド、2.5アシスト
歴代のシラキュース大バスケットボール選手のなかで、持って生まれた才能に関してはNo.1だろう。身長208cm、122kgの恵まれた体格で動きも敏捷、パスやシュートも自由自在。少年時代から交流のあったビングの推薦で入学すると、4年間毎年オールカンファレンスチーム入りを果たし、大学記録の通算1537リバウンドを奪取した。
1990年に同大史上唯一のドラフト1位指名でネッツに入団し、平均18.4点、10.3リバウンドをマークして新人王を受賞。”カール・マローン(元ユタ・ジャズほか)二世”と呼ばれ、1994年はオールスターに選出、世界選手権の“ドリームチームⅡ”のメンバーでもあった。
しかしながら熱意の伝わってこないプレー態度や、ちょっとしたケガでもすぐに休みたがるサボり癖などが抜けず。結局ネッツでも、その後移籍したピストンズやフィラデルフィア・セブンティシクサーズでも、ポテンシャルを完全に発揮することのないまま終わってしまった。
【センター】
ロニー・サイカリー
1965年5月10日生。211センチ・115キロ
カレッジ成績:136試合、平均12.6点、8.0リバウンド、0.6アシスト
NBA成績:678試合、平均14.7点、9.5リバウンド、1.3アシスト
レバノン出身のNBA選手は、ともに1965年生まれのスティーブ・カー(元シカゴ・ブルズほか)とサイカリーの2人だけ。カーがベイルート駐在の米国外交官の息子だったのに対し、サイカリーはアメリカ人ではあってもレバノン系で、生まれも育ちもベイルート。移住したギリシャでバスケットボールの才能を花開かせ、アメリカに渡ってシラキュース大に入学すると、3年連続でオールカンファレンスチームに選出された。
1988年のドラフト9位で新球団のヒートに入団。2年目の1989-90シーズンに平均16.6点、10.4リバウンド(リーグ6位)でMIPを受賞すると、以後5シーズン続けて平均15点/10リバウンドと安定した働きを見せ、1993年にはヒートの球団記録となる1試合34リバウンドもマークするなど、10年間にわたりリーグの先発センターとしてプレーした。
見た目よりずっと器用で、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)ばりのスピンムーブも披露し“スピン・ドクター”というニックネームも定着。大の音楽好きで、引退後はクラブミュージックのDJ&プロデューサーに転身した。