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NBA

内戦による難民化、貧困から大学進学を諦めプロ入り…波乱に満ちたエマニュエル・ムディエイのキャリア<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.12.27

 早くからムディエイをリクルート候補に決めていたというブラウン。そして各大学を訪問していたムディエイも、会うたびにバスケットボールのことではなく、人生や家族についての話をしてくれるブラウンの人間性に惹かれ、SMUに心が傾いていた。

 しかし最終的に彼が選択したのは、大学進学ではなくプロ入りの道だった。『スポーツ・イラストレイテッド』誌に発表した声明文のなかで、ムディエイはその理由をこう明かしている。

「『SMUに進学して、ブラウンコーチと彼のスタッフの下でカレッジバスケットボールを体験し、NBA入りの準備をすることにワクワクしていた。けれど僕は、母親が苦労している姿を見るのがもう耐えられなかった。ブラウンコーチと家族と話し合い、自分にとって母を助けることができる最善の方法は、進学を諦めてプロ入りすることだという決断に至った」
 
 ブラウンは「私自身は、彼の今後の人生やNBAでのキャリアにとっては、カレッジへの進学が最善だと信じている」と残念がったが、ムディエイが置かれている状況は特殊であり、「彼は家族の苦境をなんとか軽くしたい、という思いが強かった。彼を迎え入れることを楽しみにしていたが、彼の決断を尊重し、幸運を祈る」とエールを贈った。

 そのムディエイにプロ入りの機会を提示したのは、中国の広東サザンタイガースだ。報じられた契約金額は、1年120万ドル。家族とともに中国に渡ってプロ生活を始め、シーズン途中にケガで長期離脱したため12試合の出場にとどまるも、プロバスケットボール選手としての初年度の成績は、平均18点、6.3リバウンド、5.9アシストというものだった。

 そして1年後のNBAドラフトで、前述の通りナゲッツから7位指名を受けて、念願のNBA入りを果たす。

 ルーキーイヤーは68試合中66試合に先発出場。平均30.4分とチームで3番目に長いプレータイムを獲得し、チームハイの平均5.5アシスト、そして同3位の12.8点と奮闘した。

 しかし翌シーズンは出場時間がやや減少し、平均11点、3.9アシスト。さらに3年目はジャマール・マレーの台頭で出番を失い、2月にニューヨーク・ニックスへトレードされた。
 
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