専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

ドラフト3位指名から“神”になったジョーダン、7位指名でNBAの頂点に立ったカリー…“ドラ1以外”のベストチームを選定!<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.05.18

【スモールフォワード】
ラリー・バード

1956年12月7日生。206cm・100kg
1978年1巡目6位
キャリアスタッツ:897試合、平均24.3点、10.0リバウンド、6.3アシスト

 バードは78年のドラフト6位(同年1位はマイカル・トンプソン)で指名された後も大学に残り、NCAAトーナメントで大活躍したという希有な経歴の持ち主である。なぜこんなことが起こったかというと、彼は最初に入学したインディアナ大に馴染めず退学。その後インディアナ州大に入り直したため、ドラフトで指名されるための当時の条件を、3年終了時にクリアしていたのだ(現在では不可)。

 セルティックスはバードが卒業するのを待つ、すなわちプロ入りが1年遅くなるのを覚悟で指名したわけで、それは正解だった。もしバードが指名後すぐプロ入りしていたら、79年のNCAAトーナメント決勝戦においてミシガン州大のマジック・ジョンソンとの対戦は実現せず、したがってNBA歴史上最も有名なライバル関係は、そのドラマ性が半減していた。

 ケビン・デュラント(07年2位)もバードに匹敵する実績を残しているほか、史上最高の2番手スコッティ・ピッペン(87年5位)の名前も挙げないわけにはいかない。
 
【パワーフォワード】
ダーク・ノビツキー

1978年6月19日生。213cm・111kg
1998年1巡目9位
キャリアスタッツ:1522試合、平均20.7点、7.5リバウンド、2.4アシスト

 PFは、なぜか1位指名ではない選手が大成するケースがとても多い。チャールズ・バークレー(84年5位)、カール・マローン(85年13位)、ケビン・ガーネット(95年5位)、そしてヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス/13年15位)ら、名PFと呼ばれる選手の大半は1位以外だ。

 ドイツ生まれのノビツキーも98年9位でバックスに指名され、6位指名のロバート・トレイラーとの交換でダラス・マーベリックスへ移籍(1位はマイケル・オロウォカンディ)。マブズのアシスタントGMだったドニー・ネルソンはノビツキーに惚れ込んでいて、カンザス大のポール・ピアースが指名できたのに構うことなく獲得に動いた。

「悪くてもキース・ヴァンホーンくらいに、上手く行けばラリー・バードになる」とのネルソンの見通しは良い方向へ当たり、当初の線の細さを克服して、07年にヨーロッパ出身で最初のMVP受賞者となる。11年にはマブズを初優勝に導き、21年間ダラス一筋で史上6位の通算3万1560点を記録した。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号