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【NBAスター悲話】トラウマに苦しみ天国から地獄へ…それでも愛されたニック・アンダーソンという男【後編】

大井成義

2019.11.17

1999年夏に第二の故郷であるオーランドからキングスへトレード。この後、アンダーソンが輝きを取り戻すことは二度となかった。(C)Getty Images

1999年夏に第二の故郷であるオーランドからキングスへトレード。この後、アンダーソンが輝きを取り戻すことは二度となかった。(C)Getty Images

■トラウマに苦しめられ迎えた悲しき現役時代の最後

“Nick the Brick”、“Brick Anderson”、そうアンダーソンは地元のファンから揶揄された(Brick=煉瓦。ボールがリングやバックボードに音を立てて当たるような、下手くそなシュートの例え。特にフリースローで使われる)。アンダーソンは言う。

「皆は俺のキャリアを、あのフリースローミスで判断する。なぜ? 俺は常に110%の力を出し切ってプレーしてきた。なのに周りはまるでわざと外したかのように言い立てる。あんな大きな失敗は、生涯で一度きりなのに……」

 あの悲劇が、彼のその後のプレーに計り知れないほどの影響を与えたことは想像に難くない。翌シーズンこそ無難に乗り越えたアンダーソンだったが、1996-97シーズン、彼のシューティングタッチは修正不能なまでに狂ってしまっていた。FG成功率は初めて40%を割り、得点もルーキーイヤーのレベルまで落ち込んだ。最もひどかったのはフリースロー成功率で、それまで70%前後だった数字がいきなり40%までダウンした。

 アンダーソンはトラウマを克服できずにいた。もがけばもがくほど、深みにはまっていった。フリースローラインに立つことを恐れるあまり、ゴールへのアタックが極端に減り、あげくの果てには接触プレーを避けるようになった。出口はまったく見えなかった。
 
 その年、さらに追い討ちをかけるようにアンダーソンを災難が襲う。シーズン直前、オーランドに住む女性がアンダーソンにレイプされたとして、女性とその父親が60万ドルの賠償金を要求。もし応じなかったら警察とメディアに暴露すると脅迫した。アンダーソンは合意の上での性行為だったと主張し要求を拒否、事件は公となった。女性とその父親は嫌がらせのため試合会場に幾度も姿を見せ、アンダーソンを徹底的に苦しめた。

 1996年11月、アンダーソンは記者会見を催し、涙ながらに身の潔白を訴えた。後にポリグラフ(うそ発見器)による検査で女性の証言に虚偽が発覚し、またDNA鑑定の結果もアンダーソンに味方し容疑は晴れたのだが、その頃彼は次のように語っている。

「本当にきつい出来事だった。もう誰も信じることができない。世の中にはお金のためにあらぬことを噂し、平気で人を傷つける人間がいることがわかった。もう二度とそういった連中には関わり合いたくない。安全な場所は家の中だけだ」

 コート上や私生活でのトラブルで、アンダーソンの精神はすっかり疲弊しきっていた。自分一人での克服に限界を感じた彼は、1997年にエージェントの勧めで、全米一と噂されるスポーツ精神科医のカウンセリングを受け始める。それが功を奏してか、シーズン後半から復調の兆しを見せ、2月にはプレーヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞。だがその一瞬の煌めきを最後に、アンダーソンが本来の調子を取り戻すことは最後までなかった。
 

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