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【NBAスター悲話】トラウマに苦しみ天国から地獄へ…それでも愛されたニック・アンダーソンという男【後編】

大井成義

2019.11.17

NBAファイナルでの4本連続フリースローミスのトラウマがなければ、アンダーソンのキャリアはまったく違うものになっていただろう。(C)Getty Images

NBAファイナルでの4本連続フリースローミスのトラウマがなければ、アンダーソンのキャリアはまったく違うものになっていただろう。(C)Getty Images

 新球団マジックが誕生してからちょうど10年目の1999年夏、チームは新たな道を模索し始めていた。1996年にシャックがフリーエージェントで去り、ペニーは故障から完全復帰を果たせず一頃の輝きを失ってしまっている。フロントは新たなヘッドコーチ、ドック・リバースを迎え入れ、トレイシー・マッグレディやグラント・ヒルなどの大型補強を見据えサラリーキャップに空きを作るため、アンダーソンをサクラメント・キングスに放出。マジック生え抜きのキャプテンは、後ろ髪を引かれる思いで第二の故郷を後にした。

 新天地での1年目、出場した72試合すべてにスターターとして起用されたが、平均得点は過去最低の10.8点で、一時は60%台まで回復したフリースロー成功率も再び40%台まで落ち込んだ。パーセンテージ以前の問題として、アンダーソンはゴールに突進する気概をすっかり失ってしまっており、全盛期に1試合平均5本を数えたフリースロー試投数はわずか1本にまで激減していた。

 転落は止まることを知らず、翌シーズンは完全に控えに回され21試合の出場で平均1.8点、フリースローに至ってはシーズン中ゼロ。ただの一度もラインに立つことはなかった。キングスで2シーズンを過ごした後、2001年にメンフィス・グリズリーズにトレードされ、そこでも活路を見出せず1年後にクリーブランド・キャバリアーズへ放出。キャブズではトレーニング・キャンプにすら招集されず、2002年夏、アンダーソンはついに引退を表明した。波乱万丈のNBA人生だった。
 
 アンダーソンが記録した9つのフランチャイズレコードは、いまや様々な選手に更新されたが、「マジック第1号選手」という事実だけは永遠に消え去ることはない。不幸な出来事があったとはいえ、彼はマジックの歴史にその名を誰よりも深く刻んだ。そしてファンの心にも。

 オーランドの地元紙『オーランド・センチネル』が、2001年にウェブサイトでこんなアンケートを実施している。「過去のマジック選手の中で、あなたが最も好きな選手は誰?」。

 2000通を超える回答の結果は、5位グラント、4位ペニー、3位スカイルズ、2位シャック、そして他を大きく引き離して堂々の1位がニック・アンダーソンだった。

 アンダーソンは2006年からマジックのコミュニティ・アンバサダーに任命され、また同年より『Fox Sportフロリダ』が放送するマジックのプレゲームおよびポストゲームショーのコメンテーターを務めている。何があろうと、アンダーソンは生涯マジック・ファミリーの一員なのだ。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2004年6月号より加筆・修正。
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