【スモールフォワード】
バーナード・キング
1956年12月4日生。201cm・93kg
キャリアスタッツ:874試合、平均22.5点、5.8リバウンド、3.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・5球団
ブルックリンの生まれで、ネッツに入団した1977-78シーズンに平均24.2点と高いスコアリング能力を発揮。しかしアルコール及び薬物使用の問題などがあって79年にユタ・ジャズへ、翌80年にはゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされる。82年にはオールスターに選出されながら、シーズン終了後にはニューヨーク・ニックスへのトレードが待っていた。
それでも憧れのチームへ加入して奮起したか、84-85シーズンは平均32.9点をあげてリーグ得点王に。ヘッドコーチのヒュービー・ブラウンを「トリプルチームをかいくぐって得点できるのは、カリーム・アブドゥル・ジャバーとキングの2人だけだ」と唸らせた。
ところが翌年はヒザを痛めて全休するなど、ケガの多さが難だった。87-88シーズンからはワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)へ移籍し、91年は3球団目&4度目のオールスター出場を果たすも、翌年はまたもヒザの故障で全休。最後は1年だけデビューチームのネッツでプレーした。
【パワーフォワード】
ボブ・マッカドゥー
1951年9月25日生。206cm・95kg
キャリアスタッツ:852試合、平均22.1点、9.4リバウンド、2.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・7球団
1996年に「NBA最高の50人」が発表された際、MVP受賞者で唯一選出洩れになったのがマッカドゥー。原因は、それほどの栄誉を手にした者にしては、あまりに多くの球団を流浪したからかもしれない。
72-73シーズンに入団したバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で新人王に輝くと、74年からは3年連続得点王、平均34.5点を叩き出した75年にMVPを受賞。センター/PFとは思えないほど遠くからシュートを命中させる、ストレッチ・ビッグマンの先駆者のような存在だった。
ところがニックスを経て、78-79シーズン途中にボストン・セルティックスへ放出されると、以後3年間で3球団を転々。文字通りのジャーニーマンとなって、80-81シーズンにはベンチ降格を拒否してデトロイト・ピストンズから解雇されるまで落ちぶれた。
それでも81-82シーズンにロサンゼルス・レイカーズに加入すると、控えながらも往年の得点力を取り戻し、2度の優勝に貢献し名誉を回復。昨年発表された75周年記念チームには晴れて選出された。
バーナード・キング
1956年12月4日生。201cm・93kg
キャリアスタッツ:874試合、平均22.5点、5.8リバウンド、3.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・5球団
ブルックリンの生まれで、ネッツに入団した1977-78シーズンに平均24.2点と高いスコアリング能力を発揮。しかしアルコール及び薬物使用の問題などがあって79年にユタ・ジャズへ、翌80年にはゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされる。82年にはオールスターに選出されながら、シーズン終了後にはニューヨーク・ニックスへのトレードが待っていた。
それでも憧れのチームへ加入して奮起したか、84-85シーズンは平均32.9点をあげてリーグ得点王に。ヘッドコーチのヒュービー・ブラウンを「トリプルチームをかいくぐって得点できるのは、カリーム・アブドゥル・ジャバーとキングの2人だけだ」と唸らせた。
ところが翌年はヒザを痛めて全休するなど、ケガの多さが難だった。87-88シーズンからはワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)へ移籍し、91年は3球団目&4度目のオールスター出場を果たすも、翌年はまたもヒザの故障で全休。最後は1年だけデビューチームのネッツでプレーした。
【パワーフォワード】
ボブ・マッカドゥー
1951年9月25日生。206cm・95kg
キャリアスタッツ:852試合、平均22.1点、9.4リバウンド、2.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・7球団
1996年に「NBA最高の50人」が発表された際、MVP受賞者で唯一選出洩れになったのがマッカドゥー。原因は、それほどの栄誉を手にした者にしては、あまりに多くの球団を流浪したからかもしれない。
72-73シーズンに入団したバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で新人王に輝くと、74年からは3年連続得点王、平均34.5点を叩き出した75年にMVPを受賞。センター/PFとは思えないほど遠くからシュートを命中させる、ストレッチ・ビッグマンの先駆者のような存在だった。
ところがニックスを経て、78-79シーズン途中にボストン・セルティックスへ放出されると、以後3年間で3球団を転々。文字通りのジャーニーマンとなって、80-81シーズンにはベンチ降格を拒否してデトロイト・ピストンズから解雇されるまで落ちぶれた。
それでも81-82シーズンにロサンゼルス・レイカーズに加入すると、控えながらも往年の得点力を取り戻し、2度の優勝に貢献し名誉を回復。昨年発表された75周年記念チームには晴れて選出された。
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