【センター】
モーゼス・マローン
1955年3月23日生(2015年9月13日没)。208cm・98kg
キャリアスタッツ:1329試合、平均20.6点、12.2リバウンド、1.4アシスト
キャリア年数・所属球団数: 19年・7球団
4球団でオールスターに出たのは、シャキール・オニールとマローンの2人だけ。そして異なる2球団での連続MVP受賞はマローンただ1人という事実が、スーパースターでありながらジャーニーマンでもあった、特殊なキャリアを浮き彫りにしている。
プロでの最初の2年はABAで過ごし、76-77シーズンにNBAのブレーブスに加わったと思ったら、2試合出ただけでロケッツへトレード。3年目の開幕直後には、早くも4つめのユニフォームを着ていた。
6年過ごしたロケッツ時代に最強リバウンダーへ進化し、平均17.6本を奪った79年、そして平均31.1点を記録した82年にMVPを受賞。83年はシクサーズへ移籍し3度目のMVP、レイカーズをスウィープしたファイナルでもMVPに輝いた。
シクサーズに4年いた後はブレッツとアトランタ・ホークスでオールスターに出場。選手生活の晩年にはベンチを温めることも多く、かつてリーグ最高の選手だったとは思えない侘しさを醸し出していた。
【シックスマン】
メッタ・ワールドピース
1979年11月13日生。201cm・118kg
キャリアスタッツ:991試合、平均13.2点、4.5リバウンド、2.7アシスト
キャリア年数・所属球団数: 17年・6球団
オールスターに選ばれるくらいの実力者がジャーニーマン化する原因は、協調性に欠ける変人か、もしくはチームに置いておけないくらいのトラブルメーカーである場合が多い。ワールドピースはその両方に当てはまっていた。
本名はロン・アーテストで、3年目の途中にシカゴ・ブルズからインディアナ・ペイサーズへ移籍するとディフェンダーとして頭角を現わす。2003-04シーズンにはオールスター選出、最優秀守備選手賞にも選ばれたが、翌シーズンの11月19日に運命は暗転。“マリス・アット・ザ・パレス”(パレスの騒乱)として悪名高い、NBA史上最悪の観客を巻き込んだ大乱闘事件を引き起こし、プレーオフまで含めると86試合に及ぶ出場停止処分を食らったのだ。
翌05-06シーズンの途中でサクラメント・キングスへ放出。その後ロケッツを経て移籍したレイカーズでは、10年のファイナル第7戦で優勝を決定的とする3ポイントを沈めた。11年にメッタ・ワールドピースへと改名、中国でプレーした14年はザ・パンダズ・フレンド、さらに現在はメッタ・サンディフォード・アーテストとたびたび名を変えている。
文●出野哲也
モーゼス・マローン
1955年3月23日生(2015年9月13日没)。208cm・98kg
キャリアスタッツ:1329試合、平均20.6点、12.2リバウンド、1.4アシスト
キャリア年数・所属球団数: 19年・7球団
4球団でオールスターに出たのは、シャキール・オニールとマローンの2人だけ。そして異なる2球団での連続MVP受賞はマローンただ1人という事実が、スーパースターでありながらジャーニーマンでもあった、特殊なキャリアを浮き彫りにしている。
プロでの最初の2年はABAで過ごし、76-77シーズンにNBAのブレーブスに加わったと思ったら、2試合出ただけでロケッツへトレード。3年目の開幕直後には、早くも4つめのユニフォームを着ていた。
6年過ごしたロケッツ時代に最強リバウンダーへ進化し、平均17.6本を奪った79年、そして平均31.1点を記録した82年にMVPを受賞。83年はシクサーズへ移籍し3度目のMVP、レイカーズをスウィープしたファイナルでもMVPに輝いた。
シクサーズに4年いた後はブレッツとアトランタ・ホークスでオールスターに出場。選手生活の晩年にはベンチを温めることも多く、かつてリーグ最高の選手だったとは思えない侘しさを醸し出していた。
【シックスマン】
メッタ・ワールドピース
1979年11月13日生。201cm・118kg
キャリアスタッツ:991試合、平均13.2点、4.5リバウンド、2.7アシスト
キャリア年数・所属球団数: 17年・6球団
オールスターに選ばれるくらいの実力者がジャーニーマン化する原因は、協調性に欠ける変人か、もしくはチームに置いておけないくらいのトラブルメーカーである場合が多い。ワールドピースはその両方に当てはまっていた。
本名はロン・アーテストで、3年目の途中にシカゴ・ブルズからインディアナ・ペイサーズへ移籍するとディフェンダーとして頭角を現わす。2003-04シーズンにはオールスター選出、最優秀守備選手賞にも選ばれたが、翌シーズンの11月19日に運命は暗転。“マリス・アット・ザ・パレス”(パレスの騒乱)として悪名高い、NBA史上最悪の観客を巻き込んだ大乱闘事件を引き起こし、プレーオフまで含めると86試合に及ぶ出場停止処分を食らったのだ。
翌05-06シーズンの途中でサクラメント・キングスへ放出。その後ロケッツを経て移籍したレイカーズでは、10年のファイナル第7戦で優勝を決定的とする3ポイントを沈めた。11年にメッタ・ワールドピースへと改名、中国でプレーした14年はザ・パンダズ・フレンド、さらに現在はメッタ・サンディフォード・アーテストとたびたび名を変えている。
文●出野哲也
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