8年ぶりにトーナメントに返り咲いた74年は、キャンピー・ラッセルを中心にエリート8(準々決勝)まで進出。同年にドラフト8位でクリーブランド・キャバリアーズに入団したキャンピーは、5年目の79年に平均21.9点をマークしオールスターに出場。ニックス時代の82年には、3ポイント成功率でリーグ1位(43.9%/57本中25本成功)に輝いている。
76年のトーナメントは、リッキー・グリーンやフィル・ハバードらを擁し、準決勝でシーズン無敗のラトガース大を86-70で撃破。2度目の決勝進出を果たしたが、こちらもシーズン無敗で同カンファレンス所属のインディアナ大に68-86で敗れた。
翌77年はAPランキング1位でトーナメントに進出。前年とほぼ同じメンバーが揃っていたことで初優勝への期待も膨らんだが、準々決勝で伏兵シャーロット大に足をすくわれ涙を飲んだ。NBA入り後はユタ・ジャズなどで活躍したグリーンは、通算アシスト数とスティール数でミシガン大出身者の最多記録を保持している。
85年は万能型ビッグマン、ロイ・タープリーの活躍で、8年ぶりにトーナメントに返り咲きを果たす。「NBA史上最高の50人に入れたかもしれない」と言われるほど才能に恵まれたタープリーだったが、度重なる麻薬の使用でキャリアを棒に振り、95年にはリーグから永久追放処分を受けた。
89年には5年連続でトーナメントに進出するも、ヘッドコーチのビル・フリーダーが翌年からアリゾナ州大に移ることが決まり、急遽アシスタントコーチのスティーブ・フィッシャーが大会の指揮を執ることになる。突然の指揮官交代に先行きが不安視されたが、トーナメントで新記録となる通算184得点をマークしたグレン・ライスを筆頭に、ロイ・ボートやテリー・ミルズらの活躍もあって決勝へと駒を進める。
オーバータイムにもつれ込む激戦となったシートンホール大との大一番は、1点を追う延長残り3秒でルミール・ロビンソンが2本のフリースローを落ち着いて沈め、3度目の挑戦でついに全米制覇を成し遂げた。初優勝の原動力となったライスは、NBAでも正確なシュート力を武器に平均18.3点をマーク。シャーロット・ホーネッツ時代の97年にはオールスターで26得点を稼ぎ、トリプルダブルを記録したマイケル・ジョーダンを抑えてMVPを獲得した。
76年のトーナメントは、リッキー・グリーンやフィル・ハバードらを擁し、準決勝でシーズン無敗のラトガース大を86-70で撃破。2度目の決勝進出を果たしたが、こちらもシーズン無敗で同カンファレンス所属のインディアナ大に68-86で敗れた。
翌77年はAPランキング1位でトーナメントに進出。前年とほぼ同じメンバーが揃っていたことで初優勝への期待も膨らんだが、準々決勝で伏兵シャーロット大に足をすくわれ涙を飲んだ。NBA入り後はユタ・ジャズなどで活躍したグリーンは、通算アシスト数とスティール数でミシガン大出身者の最多記録を保持している。
85年は万能型ビッグマン、ロイ・タープリーの活躍で、8年ぶりにトーナメントに返り咲きを果たす。「NBA史上最高の50人に入れたかもしれない」と言われるほど才能に恵まれたタープリーだったが、度重なる麻薬の使用でキャリアを棒に振り、95年にはリーグから永久追放処分を受けた。
89年には5年連続でトーナメントに進出するも、ヘッドコーチのビル・フリーダーが翌年からアリゾナ州大に移ることが決まり、急遽アシスタントコーチのスティーブ・フィッシャーが大会の指揮を執ることになる。突然の指揮官交代に先行きが不安視されたが、トーナメントで新記録となる通算184得点をマークしたグレン・ライスを筆頭に、ロイ・ボートやテリー・ミルズらの活躍もあって決勝へと駒を進める。
オーバータイムにもつれ込む激戦となったシートンホール大との大一番は、1点を追う延長残り3秒でルミール・ロビンソンが2本のフリースローを落ち着いて沈め、3度目の挑戦でついに全米制覇を成し遂げた。初優勝の原動力となったライスは、NBAでも正確なシュート力を武器に平均18.3点をマーク。シャーロット・ホーネッツ時代の97年にはオールスターで26得点を稼ぎ、トリプルダブルを記録したマイケル・ジョーダンを抑えてMVPを獲得した。