専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

ジョーダンの“ザ・ショット”で25年ぶりの頂点に立ったノースカロライナ大。そして全米屈指の名門校へ【名門カレッジ史|後編】

出野哲也

2020.01.08

カーター(右)やウォーレス(左)をはじめ、スター選手を続々と輩出。(C)Getty Images

カーター(右)やウォーレス(左)をはじめ、スター選手を続々と輩出。(C)Getty Images

 その後もNBAで活躍する選手が次々と登場。86年にドラフト1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団したブラッド・ドアティは、故障がちで8年しかプレーできなかったが、その間5度のオールスターに選出された。

 ケニー・スミスは勝負強いシューターとして、94、95年のロケッツ2連覇に貢献。リック・フォックスは2000~02年のレイカーズ3連覇時に主力を務めた。

 フォックスが4年生だった91年、チームは9年ぶりにファイナル4へと進出。2年後の93年には、エリック・モントロス(元ボストン・セルティックスほか)やブルーワーカーのジョージ・リンチ(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)が中心となって3度目の優勝を果たした。驚異の1年生軍団“ファブ・ファイブ”として人気を博したミシガン大との決勝戦は、第4クォーター残り数秒で相手エースのクリス・ウェバー(元サクラメント・キングスほか)が、残っていないタイムアウトを要求する致命的なミスを犯したことで有名な試合だ。
 
 95年はジェリー・スタックハウス(元デトロイト・ピストンズほか)とラシード・ウォーレスの2年生コンビを中心に、優勝候補と目されたが準決勝で敗退。スミスの最終年となった97年も、アントワン・ジェイミソン(元ワシントン・ウィザーズほか)とヴィンス・カーター(アトランタ・ホークス)を擁しながら準決勝に進むのが精一杯だった。

 彼らは全員がNBAでもスター選手として活躍し、00-01シーズンは平均得点で2位にスタックハウス、5位にカーター、9位にジェイミソンがランクイン。ウォーレスはピストンズ時代の04年に、UNC出身者のラリー・ブラウンの下で優勝を経験している。

 スミスはESPNが選出した「20世紀の最も偉大な監督/ヘッドコーチ」の10人に、カレッジバスケ界からジョン・ウッデン(UCLA)とともに選出。そのウッデンはスミスを評して「彼ほどバスケットボールを上手に教えられる者はいない」と最大級の賛辞を送った。

 また、教え子のジョーダンも「第二の父親のような存在だった。大人として成長するために必要な多くのことを教えてくれた」と感謝の言葉を述べている。07年にはバスケットボール殿堂入りを果たしただけでなく、13年にはアメリカ国民にとって最高の栄誉である、大統領自由勲章を授与された。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号