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“脇役界最大の大物”ロバート・パリッシュ。不器用な男がセルティックスで開花するまでの前日譚【NBA名脇役列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2024.10.14

 当然、その間にはほかの大学へ転校することもできたし、プロからの誘いもあった。実際、1973年にはABAのユタ・スターズからドラフト指名されている。しかしパリッシュは「大学は何も悪いことをしていないから」と、その申し出を断った。

 1975年には自らトライアウトを受けてパンアメリカン・ゲームの出場メンバーに名を連ね、キャプテンとして金メダル獲得に貢献。翌1976年にはAP通信によってオール・アメリカンにも選出された。公式記録に残ろうと残るまいと、もはやその実力は誰も否定できなかった。

 1976年、パリッシュはドラフト8位指名でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団。最初の2年間はクリフォード・レイとの併用だったが、3年目の1978-79シーズンにはリーグ7位の平均12.1リバウンドを奪取した。
 
 ペイントゾーンで強さを発揮するだけでなく、速攻に加わる走力もあり、見事なスピンターンで何度となく相手ディフェンダーを翻弄。また、打点の高いジャンプショットは“ロバート・レインボー”と呼ばれ、ブロックするのは不可能に近かった。

 1979年のニューヨーク・ニックス戦では30得点、32リバウンドを記録。30-30は以後モーゼス・マローン(元ヒューストン・ロケッツほか)とケビン・ラブ(マイアミ・ヒート)、ドワイト・ハワード(元オーランド・マジックほか)の3人しか達成していない。

 ただその一方で、プレーに対する熱意が欠けているとか、手抜きをしているとの批判もあった。勝っても負けてもほとんど表情を変えなかったため、誤解されている部分も少なからずあったとはいえ、それについてはパリッシュ本人が「あの頃の私は怠け者だった」と認めている。(後編に続く)。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年2月号原稿に加筆・修正

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