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「彼なしで3度の優勝はあり得ない」「ビル・ラッセルを思い出す」レジェンドも絶賛したパリッシュの記録と記憶に残るキャリア【NBA名脇役列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2024.10.16

 メディアから質問を受けても返答は大抵一言。試合後はチームメイトと行動をともにせず、自宅で大好きなジャズを楽しんだ。コート上では感情を表に出さず、レフェリーへの抗議やチームメイトとの口論、対戦相手とのいざこざとも無縁。本人曰く「感情のない人間だと思われたかもしれないが、それは試合に集中していたからだ」とのことだが、「まるでサイボーグのようだ」と言われることもあった。

 そんなパリッシュが一度だけ我を失ったのが、1987年のカンファレンス決勝。このシリーズを通じて、セルティックスはデトロイト・ピストンズのトラッシュトークとハードなディフェンスに悩まされる。特にマッチアップしていたビル・レインビアのラフプレーは目に余るものがあり、第4戦では常に冷静なバードまでもが、レインビアにボールを投げつけて退場処分を受けていた。

 続く第5戦の第2クォーター終盤、リバウンドを争った際に、レインビアの肘がパリッシュの胸部に命中する。次の瞬間、パリッシュはその大きな腕をレインビアの顔面に振り下ろした。鼻の骨を折られたレインビアはコートでもんどりうつ。本拠地ボストン・ガーデンの観衆は一瞬呆気に取られたのち、リーグ1の嫌われ者を叩きのめしたパリッシュに大喝采を送った。

「あれは恥ずかしかったね。罰金(7500ドル)なんてどうでもよかったけれど、出場停止になってチームに迷惑をかけてしまったから。あんな風に誰かに集中力を乱されたのは初めての経験だった」
 
■史上最高齢での優勝を最後に引退してからは不遇の時を

 1990年代に入るとバードが故障がちとなり、セルティックスは競争力を失っていく。そのバードは1992年に引退し、マクヘイルも翌年に後を追った。しかしパリッシュはリーグ最高齢選手となっても、身体の異常を訴えることなく試合に出場し続けた。

「勝った時でも浮かれ過ぎず、負けた時でも落ち込まない。体調にも人一倍気を遣い、もちろん幸運も手伝って、だからこそあれほど長い選手生活を送れたんじゃないかな」(マックスウェル)
 
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