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「彼なしで3度の優勝はあり得ない」「ビル・ラッセルを思い出す」レジェンドも絶賛したパリッシュの記録と記憶に残るキャリア【NBA名脇役列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2024.10.16

 肉や油ものを控える食生活に加え、ウォリアーズ時代に兄貴分と墓っていたレイから学んだヨガも、コンディション調整に役立っていた。見た目もほとんど変化がなく、若手時代から引退するまで、体型はおろか髪型すら変わらなかった。

 1994年にシャーロット・ホーネッツへ移籍して2年間プレー。そして1996年から在籍したシカゴ・ブルズでは、マイケル・ジョーダンと衝突したこともあった。

「ミスを叱責されカチンときてね。『このチームにいるのはお前に心酔してるヤツばかりじゃないんだぞ』って言ってやったのさ。彼は『あんたのケツを蹴っ飛ばしてやる』って息巻いていたけど『いいや、お前にはできないね』と返したんだ。その後、彼は私に関わろうとしなくなったよ(笑)」

 この1996-97シーズン、史上最高齢の43歳にして自身4つ目のチャンピオンリングを獲得したのを最後に、パリッシュは21年間のNBA生活に幕を下ろす。通算出場試合数1611は、現在も燦然と輝くリーグ史上1位の大記録だ。
 
 引退後は順風満帆とは言い難く、2001年にマイナーリーグのUSBLでHCを務めた後は長く定職に就いていなかった。かつての仲間であるバードやマクヘイルにコーチとして雇ってもらえないかと連絡を取っても快い返事はなく、生活費を捻出するためにチャンピオンリングもすべて金に換えてしまった。

 最も手放すのが惜しかったのは、NBA50周年記念オールタイムチームに選ばれた際の記念品だったという。ようやく2016年になってセルティックスのコンサルタントの職を得たが、名誉職の域を出るものではなかった。

 こうして長くNBAの現場から離れていたことも、本来あってしかるべき知名度を得られない理由かもしれないが、このまま忘れ去られてしまうには、あまりにも惜しい名選手だろう。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年2月号原稿に加筆・修正

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