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NBA

ノビツキー獲得を巡り繰り広げられた息詰まる駆け引き。2000年代のNBA勢力図に影響を与えたドラマ【NBAドラフト史:1998年】

大井成義

2020.02.27

ドラフト後のトレードでラプターズ入りしたカーターは、2000年のオールスターでダンク王に輝き人気を不動のものに。98年ドラフト組で唯一の現役として今季もプレーを続けている。(C)Getty Images

ドラフト後のトレードでラプターズ入りしたカーターは、2000年のオールスターでダンク王に輝き人気を不動のものに。98年ドラフト組で唯一の現役として今季もプレーを続けている。(C)Getty Images

 注目の1位指名、クリッパーズはビビーではなくオロウォカンディを選択。当時クリッパーズの球団社長を務めていたエルジン・ベイラーは、次のようなコメントを残している。

「ビビーはこのリーグでも素晴らしいPGになるだろう。だが、オロウォカンディのサイズと才能には眼を見張るものがある。彼は会うたびに成長しており、その成長の度合いはリーグの誰よりも著しい」

 2位のグリズリーズがビビーを、3位のナゲッツはラフレンツを指名。続いて4位ラプターズがジェイミソンを、5位ウォリアーズがカーターを指名すると、すぐさまカーターに金銭を付けた形でジェイミソンとのトレードが発表される。壇上で、大学のチームメイト同士が笑顔で帽子を交換するという珍しいシーンが繰り広げられた。
 
 この日起きた最大の番狂わせは、上位指名が見込まれていたピアースの名前がなかなか読み上げられないことだった。それによりドラフトは意外な様相を呈し、ひいては巡り巡って2000年代のNBAに少なくない影響与えることになる。

 当時セルティックスの球団社長兼ヘッドコーチを務めていたリック・ピティーノによる回想話を、2015年に『ボストングローブ』紙がストーリーにまとめており、これがすこぶる興味深い。『ESPN』が2006年に掲載した情報と併せて、未来の殿堂入り選手3人を巡って繰り広げられた、スリリングな駆け引きの一端を覗いてみたい。

 ドイツのプロ選手、ダーク・ノビツキーの名前がアメリカで知られるようになったのは、1997年9月にNBAがヨーロッパで開催したプロモーション・ツアーだった。ドイツのドルトムントで行なわれたエキシビションゲームで、ノビツキーはチャールズ・バークレーの頭上からダンクを叩き込んで見せた。

 翌98年3月、サンアントニオで開催されたナイキのフープサミットに招待されたノビツキーは、33得点、13リバウンドをマーク。俄然NBA関係者の注目を集める存在となったが、高校卒業後に一時就いていた兵役への復帰をほのめかしていたこともあり、指名されるとしても良くて1巡目中位というのが大方の予想だった。
 
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