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NBA

ノビツキー獲得を巡り繰り広げられた息詰まる駆け引き。2000年代のNBA勢力図に影響を与えたドラマ【NBAドラフト史:1998年】

大井成義

2020.02.27

1998年ドラフトでは、ノビツキーの獲得を狙うセルティックスとマーベリックスが水面下で壮絶な駆け引きを繰り広げた。(C)Getty Images

1998年ドラフトでは、ノビツキーの獲得を狙うセルティックスとマーベリックスが水面下で壮絶な駆け引きを繰り広げた。(C)Getty Images

 だが、ノビツキー獲得に向けて、密かに策略を巡らせているチームがあった。10位指名権を持つセルティックスである。

 1998年のオフ、セルティックス球団社長兼HCのピティーノは、バケーションでイタリアに滞在していた。そこに1本の電話が入る。声の主は、セルティックスのクリス・ウォーレスGM。「ノビツキーは掘り出し物になり得る、ローマでワークアウトを実施してほしい」。それが用件だった。

 さっそくピティーノはノビツキーの代理人と連絡を取り、ローマ郊外で極秘のワークアウトを行なう。ボールボーイにはアメリカから義弟を呼び寄せた。そのワークアウトの様子を、ピティーノは次のように回想する。

「ノビツキーが見せてくれた45分間の光景は、私がかつて目にしたことのないものだった。バスケットボールのコーチになって以来、最も印象的なトレーニングだったよ。『次のラリー・バードを見つけたぞ』。心の中でそう呟いたよ」
 
 ピティーノはノビツキーの代理人と昼食を取りながら、ある要請を行なった。他のNBAチームからノビツキーに接触があった場合は、アメリカでプレーせずにもう1年兵役に就くことを匂わせてほしい、その代わりセルティックスが必ず10位で指名する、と。ピティーノが下した決断は、ウォーレスGMと球団副会長のレッド・アワーバック以外、誰にも知らされなかった。

 ノビツキーは自分たち以外のどのチームともワークアウトを実施しておらず、9位以内に選ばれることはない、そうピティーノは確信していた。だが、彼に先駆けてノビツキーに接触していた人物がいたことを、ピティーノは知らされていなかった。ダラス・マーベリックスのアシスタントGM、ドニー・ネルソンがその人だった。

 キリスト教が主催するスポーツ互助団体の一員として、学生時代に南米やヨーロッパを旅した経験を持つドニーは、NBA関係者の中でいち早く海外の選手に目を向け、情報通として知られていた。1995年からフェニックス・サンズでアシスタントコーチを務めていた彼は98年、父ドン・ネルソンがGM兼HCの役職に就くマブズに移籍し、アシスタントGMを任される。

 迎えたNBAドラフト、ノビツキーの人並み外れた才能と、豊かな将来性を見抜いていたドニーは、彼の獲得を父に提言。選手の才能を嗅ぎ分ける能力にかけては、リーグ随一の才覚を持つドンは快諾する。ネルソン親子はノビツキー獲得に全力を傾けた。
 
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